テーマ:現代に生きる歎異抄―歎異抄、その視座―
講 師:四衢亮(よつつじ・あきら)
1958年岐阜県高山生まれ。真宗大谷派高山教区不遠寺住職。
真宗大谷派「青少幼年センター」幹事。著書に『カルトと私たち』『時言』『観無量寿経の教え−仏との出会い』(東本願寺出版部)など。
受講者へのメッセージ:
仏教には「世智弁聡」(せちべんそう)という言葉があります。世知にたけて、何でもわかり知っていることで仏教に学べない姿とされます。これは私たち現代人の姿なのでしょう。たくさんの知識を持ち、様々な情報を取り寄せ、何でも解り、全てを私の想定の範囲内に置こうとします。社会や経済の情勢も善悪も人生の価値も老後の在り方も自然も。
しかし私たちは、想定して生まれてきたのでしょうか。また想定してその通りに死んでいくのでしょうか。実は人生も社会も自然も想定外の連続なのではないでしょうか。
それを『歎異抄』は、「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」と語ります。条件や状況によって、どんなこともするし、どんなことにもなる、そして何でもしてきたのが私たちだということです。しかしどんなことになっても、どう生きても、それを決して見捨てず、あらゆるもの全てに出会うことが仏の願いであり、存在だと言われます。
「ああでなければ」「こうなるはずだ」と決めたり想定した途端、そうなり得ない者は、他人も自分も許されず排除されることになります。また想定通りでないことは、想定外のことだと言い訳し責任を持とうとしないことも起こります。しかし、すべて私たちの事実なのです。
その全てを見捨てず出会うという仏の教えによって、全部解っているつもりや想定内に人生があるという私たちの解り方の狭さと偏りが破られ、はじめて思い通りにいかぬ私自身に気づかされるのでしょう。条件次第で何でもするという事実を免れるものは一人もないのです。だからこそ、その事実を仏の教えに確かめ続け、人間と人の世の悲しみを分かち合い共感し、問題を共有する、共なる歩みも開くのです。今こそ、仏の教えを聞く時です。
(四衢亮)
講座日程:
1. 2011年 8月6日
「人間はいかなる存在か」
2. 2011年10月15日
「人間の知性の問題」
3. 2011年12月10日
「人間の倫理の問題」
4. 2012年 2月11日
「人間の愛情の問題」
5. 2012年 4月21日
「人間の経済の問題」
6. 2012年 6月16日
「人間の正義の問題」