
わが名をよびてたまはれ/いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ……
(三好達治「わが名をよびて」)
いつであったか。お寺の法話会でこの詩を読んだことがある。そのときあるお年寄が、「大学生の男の孫が正月に訪ねてくれました。いつも優しく"おばあちゃん"とよんでくれるのに、その日はただ黙っているだけです。お年玉はあげたのですが、しばらくして”おばあちゃん”とよんでくれないまま帰っていきました。この詩を聞いてあの寂しさが思い出されてしまって……」と涙声だった。
いまでも、わが家の女の子の孫は、毎日「ママ!」「おかあチャン」と何回となくよんでいる。「ハーイ」と返事が聞こえるまでよんでいる。返事があればまたひとりで遊んでいる。よばれた母親も、またそのよび声に安心するようである。
幼な子にとってお母さんは、自分をそのまま受け止めてくれる絶対信頼の存在である。それを身体が知っているのである。
自分と他人との関係の原体験は、親と子の関係にある。だから成人してもその体験はどこかに残る。大学生の孫も、いつかおばあちゃんの「わが名をよびて」という願いが聞けるときがくるに違いない。如来もまた「わが名をよびてたまはれ」と、名をよぶことを忘れた衆生によびかけている。称名念仏は、いのちに刻まれた宗教的原体験なのである。
(邦)