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社会を見る眼
 煩悩が成就できない
  第65回 <2003年9月>

ロゴイメージ なんとも汚らしい事件である。名門大学の学生サークル活動で、合同コンパを餌にして女の子を集団レイプしていたというのだ。学生の計画的犯罪だからなお汚い。

 生きるとは煩悩を生きることである。人間は、煩悩を自分でおこすことも、消すこともできると妄想している。しかし、実は煩悩のほうが自分よりもっと深いのである。自分でも始末がつかないのだ。だから、煩悩に狂わされて、思わず犯してしまう悲しい存在が自分なのだ。それで「煩悩具足・煩悩成就のわれら」という自覚を人間にうながす仏の語があるのだ。

 ところが、誰だって煩悩を消せないのだから、何をしたっていいと開き直るのも人間である。煩悩を盾にして快楽を自己弁護する。わざとすまじきことを行い、あたかもそれがいかにも自然のままのこころの現れだと錯覚してしまう。それで煩悩をますます汚すのだ。
煩悩に狂わされたという痛みより、その煩悩を利用して、その火を煽り快楽を増幅しようという計らいの魂胆が、いまこの世界を蔽い尽くしている。だが、悲しきかな欲望とは満ち足りた途端、すぐさま不満を招くものだ。だから煩悩はいつも満ち足りることがない。いつも煩悩は成就できないままである。
どこで本当に煩悩が成就できる腹(信)が決まるか。これが人生(仏道)の究極的課題である。本当に煩悩に満ち足りて煩悩成就のわれと自覚できれば、どんな人間も救かるにちがいない。

 集団レイプで煩悩は決して成就しない。人間は煩悩を見くびりあなどってはいけない。

(邦)


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