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社会を見る眼
 貪って空しい空しいから貪る
  第63回 <2003年5月>

ロゴイメージ この間、また私の周囲で四十七歳の男が自殺した。父親が興した事業を、父のとおり忠実に受け継ぎ、気働きのよくきく優しい人だった。またというのは、数年前やはり同じようなケースの死に出遇ったからである。

 この二人とも、父親は個人企業に命をかけてきた人である。人生は金の力だとわり切って生きてきた。後継の二人は、そんな父と現代の会社経営の間に挟まれて、遂に自分が生きる意味を見失ってしまったのであろう。この無意味という生の空しさをバネにして超える道が見つけ出せなかったのだろう。残念である。

 人間は、欲が満たされてもなお欲を貪る。そして貪り果てて、フと悲しくなる。貪って得ても空しさが残る。これが人間である。煩悩具足とはこの空しさのタメ息である。現代人はこの空しさにみんなあえいでいるのではないか。空しいとは無意味ということ。人間は無意味に堪え切れないのである。
だから空しさを忘れるためにまた貪る。不快を避けて、快楽だけを追い求める。そして財力・知力・権力などの力で人生を意味づけようとする。快楽と力で空しさを消そうとする。しかし、快(こころよさ)と力を貪ればまた空しい。この悪循環をどこで超えるか。生きるという根本課題はこの一点にあるようだ。
 
 欲はこの身に密着している。貪りは心の計らいにつきまとっている。空しさにあえいでいるのも心である。この身はこの心の空しさをそのまま受けとめて黙って生きていてくれる。

(邦)


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