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社会を見る眼
 「ワガママ」と「そのまま」
  第60回 <2002年11月>

ロゴイメージ 近ごろ町なかでも傍若無人なワガママ人間が眼につく世の中になってきた。人間の本性であるエゴが大手を振ってわがままに歩いている感じである。人にワガママな振舞をされると、誰でもいやな気持にさせられる。

 ところが、あんなに自分勝手でワガママ一杯の幼児の振舞には、誰でも思わず微笑む。さわやかにさせられる。どうしてだろう。

 本紙にもご縁のある上田紀行さん(文化人類学者)が、“「ワガママ」と「我がまま」とはどこが違うのか”という問題を提起した。「ワガママ」は自分勝手。「我がまま」は自分のあるままに、そのままに生きること。さあ、どう考えるか。これは人間の永遠のテーマでないだろうか。

 ひとは誰でも、自分を偽らず自然にそのままを生きたい。「我がまま」に生きたい理想を持っている。ところが、そのままを生きようとすると、どうしてもワガママな生き方になってしまう。幼児のようにさわやかなワガママを生きられない。あんな無邪気にはとてもなれないのである。でもまれに、ずいぶんワガママな人でもさわやかさを感じさせてくれる人がある。その人は自分の目指す理想に向かって、他人を利用しないで自己をそのまま主張し、燃焼し続けている。そんなワガママの人に出遇うことがある。

 親鸞聖人もこのテーマに心を痛めている。悪人こそ成仏させるという本願の念仏なら、わざと大いに悪を犯して助かろうとする、本願に甘えるワガママな者が出てきて、当時社会問題にまでなった。そこで親鸞はこう答える。

 「それはやむなく煩悩に狂わされて犯した悪でなくて、わざと仏さまに甘えて悪をなしているのに、いかにも心のまま、自然にそのままを生きているかの如く振舞っているのはあわれなことだ」と。(お手紙の取意)

 ワガママには、“わざと”という煩悩までも利用して自己を保身せんとする作意・計算が働いている。だから人間の「ワガママ」の痛みを知らないで、いかにも心のまま、「そのまま」の如く生きているだけなのである、と。

(邦)


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