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社会を見る眼
 たかが人生、されど人生
  第59回 <2002年9月>

ロゴイメージ 6月は、W杯のサッカーに燃えた。選手たちの脚は、まるで手のごとく器用にボールをコントロールする。そのパスの正確さ、疾走するスピード、ボールに対する執念。すべてに驚嘆するばかりだった。いまはもう秋になるというのに、夏の興奮がまだにわかファンにも残っている。

どんなスポーツにもドラマがある。だから魅力があるのだ。特にサッカーはドラマチックである。実力だけでない要素がまたドラマを生むのだ。わずか数センチのシュートミスが勝負を決める。そういえば、審判の誤審までもドラマになるようだ。観客は、だからゲームに自分の人生のドラマ(物語)を重ねて観ているのかもしれない。しかも、自分ではそれほど愛国心があるとは思えないのに、にわか日本ファンになりきってしまう。

これは、サッカーという仮に設定されたルールの中だから、これほど我を忘れて喜んだり、嘆いたりできるのだろう。

その間にも世界は、テロの自爆や、南北朝鮮の銃撃戦まであった。戦争にはルールがない。仮にも設けることもできないで戦う。真実と真実、光と光がまともにぶつかって惨事にまで至ってしまう。

そう思うと、スポーツに限らないが、この仮に設定された「影」の部分が人間にとってむしろ大事なのでないかと思う。

昔、「たかが野球、されど野球」と言った高校野球の名監督がいた。たかがは、野球という影。されどは、その影がなければ野球そのものは存在できない。野球というドラマをこの監督は知っていたのだ。

人生に光を! 宗教に光あり!に違いない。が、直接太陽の光を見ると眼がつぶれる。光が実現する場は影だという眼のほうが大事なのではないか。

「たかが人生、されど人生」である。山頭火の句を思い出した。
―ここにこうして/みほとけのかげ/わたくしのかげ― 

(邦)


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