
先日、便りを書いて、いつものように「ご自愛を念じあげます」と結んだ。あるときは、「御身お大切に」と書いたりする。そのときフト思ったことである。
ご自愛をとか、お大切にとは誰に向かって言っているのか。もちろん、他人さまに対してご静安を念じての言葉である。でも、いちばん大切にすべき、自愛すべき自分自身を忘れて、他人さまにだけ言ってきたようである。昨年の暮れから同年輩の友が次々と急逝(きゅうせい)していった。その友から「汝、わが身を自愛せよ」と呼びかけられているようである。
考えてみると、自愛とはいい言葉である。人間として生きる大事な心である。だが自分を根っからまるごと愛する心が育つのは難しい。「御身」も、あなたのお身体というだけでなくて、実はこのわが身も「御身」なのでないのか。自分自身が御身であることが、なかなか頷(うなず)けてこない。近頃の健康ブームに乗って、健康だけが人生の唯一の目的であるかのごとき生き方がある。それと、「御身お大切に、ご自愛を」というのとは、どこか根本が違うのでないだろうか。
お釈迦さまが誕生されたとき、天と地とを指さして、「唯我独尊(ただわれひとりとうとし)」と宣言されたという。これは、<人間として自然(じねん)のいのちを賜って生まれたわれは、御身といただける愛しき尊きわが身である>という意(こころ)である。また親鸞は、南無阿弥陀仏信ずることは、「決定(けつじょう)して深く自身を信ずる」ことだという。それは、<どんな状況にあろうとも、自暴自棄にならず、わが身を御身として深く信ずる。そこに腹が据(す)わる>という意である。
こんな詩の一節に出会った。
ひとが
ひとでなくなるのは
自分を愛することをやめるときだ。
自分を愛することをやめるとき一
ひとは
他人を愛することをやめ
世界を見失ってしまう。
自分があるとき
他人があり
世界がある。
……
(吉野弘詩集『消息』「奈々子に」より)
(邦)