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社会を見る眼
 それでよろしい、と
  第55回 <2002年1月>

ロゴイメージ ときどき墓地の草取りをする。雑草の生命力についていけなくなる。ある夏の日、いっしょに草取りをしていた人が私に言った。

「住職の草取りは、いかにも草が憎らしそうだ」

言われてみるとなるほど。もう前から除草薬をまくのは止めていたが、雑草を排除する心はそのまま残っていた。それを見抜かれてしまった。その人は、草引きという。一本一本草を引き抜くのである。ものすごく手間も時間もかかる仕事だ。ところがやってみると、だんだん草が見えてきた。

敷石のわずかな隙間に根をおろし可憐な花を咲かせている草がある。草には手も足もない。種の落ちたところがその草の文句なしの生活現場である。現場から逃げられない。そこで小さな花を懸命に咲かせ、黙って枯れて終ってゆく。自分のいのちに「自体満足」している。草にも、自体満足の仏さんが宿っているようである。

       
それでよろしい落葉を掃く
―山頭火―

毎朝、境内の落葉を掃く。掃きながらときどきこの句が浮かんでくる。

昨日も葬式があった。四十二歳で急死した人の悲嘆(ひたん)極まりない葬式だった。

人はそれぞれ、自(みずか)らの業(ごう)(自分が歩んできた逃れ難き生活歴)を尽くしてこの人生を終えてゆく。人間の思いとしては、いかに残念無念でも、いかに華やかであっても、その死は、そんな人間の思いを破って、それでよろしいとその人の生全体を受けとめているではないか。その人が尽くし終えた業に優劣の差はない。死は、絶対平等である。

フトまた思う。落葉の如くにそれでよろしいと散っていけるだろうか思いばかりが 千々(ちぢ)に乱れたまま散っていくであろうか。全くお手あげである。乱れ乱れたまま、それでよろしいという声が聞こえてくるようだ。サアーメッ。掃いている 箒(ほうき)の音といっしょになって。(邦)


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