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社会を見る眼
 「正義」が犯す罪
  第54回 <2001年11月>

ロゴイメージ なんでも世界一のアメリカ経済力を象徴する超高層ビルが、あんなに脆(もろ)くも崩壊してしまった。テロリストが乗っ取った民間機が乗客もろとも突っ込んだ。生中継のテレビは全世界を震撼(しんかん)させた。その後どれだけこの突入の瞬間を見せつけられたことか。「なんてひどいことを!」恐怖と憎悪をかき立てられ、これは見えないテロとの新しい戦争だ……と。

過去の戦争にも、南京大虐殺・ナチ強制収容所のガス室・広島長崎の原爆・ベトナム枯葉剤作戦など、日本もドイツもアメリカも庶民を巻き込んだ無差別大量殺戮(さつりく)の歴史がある。こんどのテロも同じである。

戦争は常に国家(集団)が正義という名のもとに行ってきた殺戮である。犯罪の裏に「正義」があるのだ。だから戦争がもつ自分の犯罪性がわかりにくい。戦勝国も戦敗国も共に犯さざるをえぬ犯罪である。勝者が敗者を、被害者が加害者を裁く悪よりも、もっと深く見えにくい罪である。

自分の死をも恐れぬ惨忍(ざんにん)なテロリストたちも殉教(じゅんきょう)の精神がある。正義がある。アメリカにも殉国の精神がある。正義がある。星条旗が売り切れるほど、殉国の正義が旗振られている。

問題はその「正義」の質である。殉ずべき「教(おしえ)」・殉ずべき「国」の内実である。「これこそ正義だ真実(ほんと)だ」と力めば力むほど教(おしえ)や国の中味は空虚(うつろ)になってゆく。「自分が掲げる正義はホントかな」と自らへの問いかけのなかに、むしろ真実(まこと)が動いているのではないか。

この問いかけに鈍感になると、自分の正義を犯す者を報復すれば、憎しみが解決できると思い込んでしまう。報復するだけでテロの犠牲となった数千人の死者の慰霊になるのだろうか。憎しみを捨て切れないで苦しみ続けているこの自分の憎しみをどうするのか。それが根本の問題だ。死者は、報復して私を慰めてくれと叫んでいるのか。「どうか正義が犯す罪を知ってくれ」と呼びかけているに違いない。正義への「執」ほど恐ろしいものはない。

(邦)


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