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社会を見る眼
 人間崩壊の犯罪
  第46回 <2000年7月>

近ごろ特に少年の凶悪な犯罪が続く。バスジャックして次々に乗客を殺傷する。その動機が全くわからない。また、ただ人殺しを経験してみたかったというだけで、若者は未来があるから老人を殺したという少年。これも同じ17歳の高校生だった。

なんとも恐ろしい奇妙な犯罪が未成年にまで蔓延(まんえん)している。バーチャル世界の少年たちにとって、「殺」も「罪」の感覚とは程遠いものなのだ。いよいよ人間そのものが崩壊しつつある。人間という自と他の共通の基盤が崩壊しているのである。

藤原新也(作家)がこんなことを言っていた。――八十年代から幼児の声と母親の声とがハーモナイズしていないと気がついた。子どもが子守歌で寝なくなった。それは母の胎内で胎児が聞く声は、母親の声よりもテレビのコマーシャルの大きな音であったのだ。――

犯罪というものは、その時代の人間を拡大して投影している。ひとりが犯す罪はその時代が生んだ罪であり、人間業(にんげんごう)を象徴する罪なのであろう。だから犯罪者個人の責任ではないとは決して言えないが、単なる特殊な17歳の少年の悪業として済まされないものをはらんでいると思う。

それにしても、毎日のようにこんな犯罪が続くと、人類の未来はいったいどうなるのかと不安にかられてくる。人間業の問題と言えば、この二十世紀は科学の真理を解明するという大義と自信と名誉によって、人間は「核」を産んだ。それを作った科学者個人の罪は問われないけれども、人間業が犯した、核を知ってしまったという大きな「知の罪」は決して消すことはできないのである。これは人間知の自然に対する傲慢が生んだ罪ではないのか。

これと同じことが、今日、遺伝子の組み換えやコンピューターの急激な進歩の裏に、人間が気づかない人間知の犯す罪がひそんでいるのでないのか。いま、人間そのものの基盤は何かを、懺悔(さんげ)の心と謙虚な眼(まな)ざしで見つめ直すことが凶悪な少年犯罪から問われている。

(邦)


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