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社会を見る眼
 わが子を虐待する親
  第43回 <2000年1月>

親がわが子を虐待(ぎゃくたい)するケースが急増している。児童相談所へ相談にくる数は8年間で6倍になり、昨年度は約7000 件にもなったという。

――その母親は、「子どもの食事などの行動がいつも遅く、いくら言ってもきかないのでいらいらした」。それで小学1年の子どもの腹などを数百回も殴(なぐ)る暴行を7時間も続けたあと、台所のパイプ棚に手足を布リボンで縛(しば)りつけて終日放置した。外傷性ショックで夕方には子どもは死亡していた――。(毎日新聞)

子どもはなかなか母親の思いどおりにしてくれないものだ。そのストレスが積もり積もって、ついに愛は憎しみに一変してしまう。

「愛憎違順(あいぞういじゅん)」という語(ことば)がある。相手がわが思いに従順(じゅうじゅん)な場合は愛(いと)しい。しかしわが思いに背違(はいい)する場合は、そのとき愛は憎となる。人間の愛は、いつもその裏に憎をかくし懐(いだ)いている。愛と憎とは別のものでなくて、憎は愛の変形である。人生の苦しみの大半は、この愛憎違順ではないか。

「自分の思いどおりにしようとしたら孤独になる」と言った人がある。(鈴木章子)

誰もが自分の思いどおりにしたいという執着から離れられない。この自分中心の執着が、愛(いと)しきわが子すら憎み殺害するにまで至らせるのである。「子どもと2人になるのがつらい。虐待しそうで子どもの顔をみるのも嫌だ」と、別の母親は自分自身を怖れている。

親子の関係は、近いからみんなわかっているつもりでいるが、あまりにも近いからいちばんわからない関係でないか。近すぎてみえない。間(あいだ)がないと、ものはみえないものだ。

「吾子(わがこ)知る親なし、たまに親知る子あり」と喝破(かっぱ)した人がいた。(小林勝次郎)

わが子だけはみんな知っている、思いどおりになるはずだ、という親の思い。この思いが実は親というものの本質的な愚(おろ)かさである。

どうにもならない愚かなこの親という私を、如来は大いなる悲しみ、慈(いつくしみ)の眼をもってみつめていてくださっている。

(邦)


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