新聞で紹介されていた『もう一つの道 ― 競争から共生へ ―』という本の中にちょっと考えさせられる話があった。
北海道の或る障害者作業所に勤務する向谷地(むかいやじ)さんがいつも講演でする話である。
――アリの社会は、よく働くアリと普通に働くアリと全く働かないアリが、6 対3 対1の割で成り立っている。そこで試みにその中から全く働かないアリだけを除いてみた。すると残ったアリはまた6
対3 対1 の割になってしまうのである。アリの社会は、いつも全く役に立たないアリがいないと成り立たないらしい役立たないアリの存在が、いつも認められている社会なのである。
翻(ひるがえ)って人間の社会はどうか。働かないものは普通に働け、働くものはもっと働け!頑張れガンバレの社会である。だから役に立たないものは排除され捨て去られていく。この考え方が障害者を社会から締め出している。そのことに気がつかない。――
「この世界で役に立たないものはひとつもないんだよ。働かないもの、働けないものだって、なにかの役に立っているんだよ」。アリはどこかでそのことを知っているのだろう。
人間だって自然の中に生きているのだから同じはずである。それなのに無力なもの無用なものをすべて排除すれば、理想的な有効な社会ができると信じ込んでいる。これは妄想でしかない。この妄想が、人間を自然から乖離(かいり)させているのであろう。
役に立たないものを排除すれば、今度はいつか必ず排除されることになる。このことは自己と他者との間だけでない。自分の内にも役にも立たない排除したい己がある。差別は他者だけでなく自己自身にも向かっているのだ。その己おのれを排除し尽つくすことができるのか。働かない仲間のアリを排除し続ければ、アリ自体の存在は無限に零(ゼロ)化してしまう。
案外、自分で排除したい己こそ己の本性なのかもしれない。すると怠者(なまけもの)の己もまたいとおしく思う余裕が生まれてくる。
(邦)