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社会を見る眼
 実業(じつぎょう)と虚業(きょぎょう)
  第38回 <1999年3月>

日本はいま深刻な経済不況である。この中から、日本経済の未来への展望が開かれるということは容易なことではない。この不況は、単なる不景気という単純なものではなくて、現代人の生きざまの転換を迫るほどの根深さをはらんでいるのではないか。
 私の寺で毎月数人の零細企業の門徒さんを中心に、仏教の輪読会(りんどくかい)を続けている。あのバブル経済華やかな時である。輪読と話しあいのあと一杯ということになる。酒席の話題となると、儲(もう)けの話となる。製造業も販売業もコンサルタントも、そのうちに「株」と「土地」の話になっていく。そうなると、坊主の私は黙って聞いているしかない。でもあるとき、一言だけ口を挟(はさ)んだことがあった。

「みなさんは小なりとも経済人、実業(じつぎょう)家でしょう。しかしお話を聞いていると、実業の話でなくて、虚業(きょぎょう)の話ばかりですね。総虚業家みたいですね」

「……………」

 沈黙が流れ、一寸しらけてその時は終わった。

 それから二年ほどしてバブルが消えた。あるときそのうちの一人が、「実業でなく虚業でないか」という言葉を憶(おぼ)えていた。やっぱり聞いていたのである。

 この、不況経済を好景気に戻さなくては……。確かにそうである。でも、バブルの時の好景気に戻そうというのだろうか。夢よもう一度ということが可能なのだろうか。

 大量生産・大量消費。これが資本主義の歩んできた到達点である。それは、人間までももの化し、ゴミ化させる魔力をもっている。金融経済至上主義は、環境を破壊し人間まで破壊し続けている。

 この不況を契機にして、健全なる生産を健全に消費するという経済が成り立つ道はないのであろうか。次の世紀の人類の課題である。

 この不況の代償として、まず虚業を実業の如く思い込んできた愚かさに気づくことから出直す必要がある。虚業を虚業だと知る智恵は、実業を生きる苦しさに耐えねば生まれてこないのではないか。「世間虚仮(せけんこけ) 唯仏是真(ゆいぶつぜしん)」の聖徳太子の教言(おしえ)を聞き直さねばならない。
(邦)




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