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社会を見る眼
 仏さんだけを相手にするのが坊主だ
  第35回 <1998年9月>

ずい分前から近くの商店街がだんだん寂しくなってきた。魚屋さんも八百屋さんもなくなってしまった。
「いらっしゃい きょうは安いよ」

 威勢のいいオヤジさんの声も聞こえなくなった。スーパーでは、「ピッ、ピッ」という機械音と、「○○円です」の声しか聞こえない。直接お客を相手にしなくても商売が成り立つ時代になった。

 もう十年も前だろうか。東本願寺(京都市)の同朋(どうぼう)会館の研修でいっしょになった三、四十代の主婦たちのグループは、一応、農家に嫁いだ人たちであった。座談の中で、

「わたし、うちの田んぼどこにあるか知らないわ」「わたしもそう。行ったことないわ」と言うのである。田んぼは専門の業者に任せてあるから、秋になれば今年はこれだけとお米かお金で精算してくれる。

「主人もわたしも町へ通勤するサラリーマン」なのだ。

 商店が成り立たない。農家が成り立たない。総サラリーマン時代である。それは、職人・政治家・僧侶(そうりょ)の世界にも及んでいる。坊さんも宗教法人からサラリーをいただくマ、ン、になっている情況である。

 僕もむかし坊主になりたての頃、ある在家の求道者から、

「人間を相手にせず、仏(ほとけ)さんだけを相手にするのが坊主だ」

と喝破(かっぱ)されたことが今でも忘れられない。

 日本人は、道とか魂とかが好きだ。茶道・武道・商人道・農民魂・仏道・住職道。道を歩むとは、真実(まこと)を求める魂ということがそこに要請されてきたのでないか。坊主が相手にすべき・仏さん・とは、広くいえば、人間の毒気の底にひそむこの真実(まこと)であろう。この・仏さん・は、商人も農民もお客を通し土を通して感得されてきたのでないか。そこに商人・農民の人間像を浮かび上がらせてきた。

 これからサラリーマンが、どうこの・仏さん・を感得する道がつくか。どんな人間像が浮かび上がるのだろうか。まず坊主の人間像が不明のままである。
(邦)






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