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社会を見る眼
 闇を知らない東京
  第34回 <1998年7月>

「だれもが東京の放つ、けたはずれの光に目を奪われた。こんな光景は、どこにもなかった」。「東京から大阪、神戸、広島、福岡あたりまで、明かりが連なっている」。向井千秋さんと若田光一さんが、スペースシャトルから見た日本の夜景である。
 毎日新聞「余録」にこう報じていた。そして更に「日本の今の問題は、この明るさにあるんじゃないか」、「いま何に追われているかといえば、明るさに追われている」と詩人の長田弘さんの言葉を紹介していた。

 東京の夜から闇を追放してしまってから、もう久しい。それでも四、五十年前までは、まだ筆者の小さな寺の墓地にも闇夜があった。その闇には何か底の知れない怖(おそ)れがひそんでいた。いまはその墓地にも防犯灯を照らすようになったから、夜でも墓参する人がある。

 闇を追放し昼夜の別なく明るくすれば、働くにも遊ぶにも便利である。眠る時間をなくしてまでも働き遊ぶことができる。動くには明るいほうが確かに便利である。

 しかし、自然を生きるいのちは、昼と夜、明と暗、動と静のなかで生きている。夜があるから昼がある。闇があるから光があるのだ。闇をなくして光だけにすれば、実はその光自体も光でなくなる。闇があってはじめて、その闇を破る光のすばらしさ、尊さ、ありがたさがわかるのではないか。闇を知らないものは、光も知らないのである。どんなに煌々(こうこう)とした明るさの中に四六時中住んでいても─。

 長い夜の闇から夜明けを迎える。闇から明へ転換する夜明けの薄あかり。薄明の光が、夜の闇を奪ってゆく。徐々に天地万物を浮かび上がらせてくる。いままで見えなかった雲が見えてくる。草が見えてくる。光が闇を破って、却って闇を浮かび上がらせてくるようだ。この薄明の光には、夜が明けたという大きな感動を誘う。闇があったから光の感動があるのだ。

 闇を抱えて生きる人間は、どれほどこの夜明けの光を求めてきたことか、単なる明るさは闇も光もわからなくさせてしまうものだ。
(邦)







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