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社会を見る眼
 
  第33回 <1998年5月>
大事ななにかを 見失った 子供よ ここへお坐=(すわ)り お前はさっき石をもって喧嘩をしてゐたね さういうことではいけない 石をお捨て 人は少しでも自分と違う力をかりてはいけない……
(草野天平「子供に言ふ」より)
 このごろ中学生の少年がナイフで先生や友達をいきなり刺し殺す事件が次々とおこっている。「キレる」が流行語になった。どこにその原因があるのか。世の識者も捉(つか)みきれない。根がとても深いのだ。

 少年たちは病んでいる。その病(やまい)は、日本人全体の病でもあるのでないか。しかも病んでいるという自覚がない。とくに大人に。

 だから病が重いのである。

 われわれは大事ななにかを見失ってしまって生きてきたのでないか。そのツケがいま子供たちに廻(めぐ)ってきたのでないのか。

 明治以来、日本人は欧米先進国に武力をかりて追いつこうとした。それが敗れて敗戦。戦後、今度は武力にかわって経済力をかりて追い抜こうとしてきた。なりふりかまわずに。

 だがその戦力もバブルでしかなかった。武力も戦力も所詮(しょせん)「自分と違う力をかりて」でしかなかったのであろう。

 いま日本人は人間としての実力を問われる大転換期にさしかかっているのでないか。

 素手でする喧嘩はなぐったほうの手も痛みを感じているが、刺したナイフは痛みを知らない。政官財界の地位をかりて手にした財は恥も痛みも忘れさせてしまうらしい。

 戦後、私たち日本人は自ら「戒(いましめ)」を無価値なものとして放棄してきた。戒とは自戒(じかい)である。かりものでない力をこの身につけるための自戒である。だからたとえどんな破戒(はかい)のものも、無戒(むかい)のものも、自戒を破り無視した痛みが残る。

 ただひとつ、天平のように「自分と違う力をかりてはいけない」とはっきり言える自分でありたい。
(邦)







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