科学技術はついにクローン羊・クローン猿まで造りだした。次は、クローン人間、それは目捷(もくしょう)の間に迫ってきた。現代の科学はどこへ向かって走り続けるのか。あと戻りのできないこの暴走をどこでどう止(と)めるのか。人間知のもつ罪業がいよいよ顕(あらわ)になった。
あるテレビのワイドショーでも取りあげていた。みんなクローン人間の不気味さ、恐ろしさを異口同音に語っていた。そのなかで一人がこう発言した。
「この問題でも、みんな否定的意見ばかりが出ると、それが正当だという風潮になってしまう。でも、もしクローン人間ができれば、臓器移植による拒絶反応は全くなくなるから、利点もあるのではないか」と。
『エ、エーッ?』
すると、そのなかの女性が言う。
「それはおかしい 臓器を提供するクローン人間の人権はどうなるのよ」と。
『そうだ』
テレビを見て興奮するより、これはもっと根深い問題であろう。・いのちとは何か・をクローン猿から匕口(あいくち)を突きつけられた思いだ。
人間の理知は、自分が自己満足するためには他のすべてを利用しようという知でしかないのでないか。この利用根性の根深さは、科学的理知というベールに覆われているからなかなか見えてこない。クローン人間の人権さえもみえないのである。理知がもつこれほどの愚かさがあろうか。だから根本無明(こんぽんむみょう)という。この愚かさは、いのちに対する根源的な罪悪でなくて何であろうか。それは成績が零点という愚かさではなくて、百点満点のもつ愚かさである。
いのちは、それ自体で満足している世界を生きている。いのちは決して自己満足のために生きていない。自己満足は、いつも他を利用してやまない根性であるが、自体満足は他を利用する必要がない満足である。いのちはそれ自体、独(ひと)り尊しと生きている。クローン人間もそれを造った人間にも自体満足はない。
(邦)