「人間の生き方もほどほどにしたいものだ。人間のみの地球ではない」
(香月泰男(かづきやすを))
何年か前の正月に、「二十一世紀への思索」と題して、大江健三郎氏と立花隆氏がテレビで対談していた。
人類の未来を考えるとき、核の危機よりもむしろ地球的規模での環境破壊が、人口の爆発的増加によっておこるであろうと。地球人類の未来は終末的破滅から避けられないということで、二人とも一致していた。
予想される二十一世紀の未来は破滅的状況であるが、しかし楽観的な視野もあるのでないかという。立花氏は人類の叡知(えいち)を信ずるといい、大江氏は宗教的智慧だけが人類を救う可能性でないかという意味のことを語っていた。
なるほどそうであろうが、その叡知や智慧そのものは本来楽観的なものでも、それをわがものとして獲得することは決して楽観できるものではない。知るとは信ずることであるから。
香月さんは絵かきである。画家の眼で人間も動物も植物もこの大地にいのちを托して生きている実相[すがた]をみつめてきた。だから人間の真(まこと)に対する愚かさを見抜き、人間の傲慢(ごうまん)さを知り盡(つく)した人なのであろう。だからこの地球を生きる生き方の「ほど」を知った人なのであろう。本当の智慧とは、「ほど」を知る生き方に表れてくるのであろう。
真実の智慧の本体は真実の慈悲(じひ)である。本当の優しさは智慧としてはたらくものである。わがいのちが生きるとは、他のいのちとの関係の中で生きているのである。
むかしお釈迦さまは、
「人は己(おの)れよりも愛(いと)しいものを見出すことはできぬ。それと同じく他の人々にも、自己はこの上なく愛(いと)しい。だから己れへの愛しさを知るものは、他のものを害してはならぬ」
と国王とお妃(きさき)に説法されたという。
理知をふりかざす人間が「ほど」を忘れて他を害し、破壊し続けている。「ほど」を知らぬ者くらい始末におえないものはない。
(邦)