お母さんが子どもに向かっていつもいちばん多く使う言葉は「早くしなさい」だそうだ。「早く起きなさい」「早く勉強しなさい」「早く寝なさい」。
より早く、より強く、より多く。そんな能力豊かな子どもに育てよう。相手(ひと)より能力の勝(すぐ)れた優等生であれば幸せになれる。学業優等で一流大学を出て一流企業に勤める人間が、即(そく)、人間として一流なのだというも、の、さ、し、が今日(こんにち)当たり前のようになっている。
本当にそうなのか。
この能力主義のものさしで、輪切りにされた子どもたちはどうなるか。イジメや家庭内暴力がエスカレートし続けている。いま問題の「住専」にしろ「エイズ」の問題にしても、最優秀の経済専門家・医療専門家たちの頭脳をもってやったことなのだ。それがあのような無責任な答えしか出てこない。そのために自分の人生を失うほどの被害を受けた人たちがいるのだ。切られたほうはたまったものではない。
人間が互いにその能力を競いあい、より豊かに生きたいという意欲をもつのは当然である。しかし、各人のもつ能力だけが人間評価のも、の、さ、し、だとすることができるのか。
それはおかしい、ということは、ちょっと人生を立ち止まって一人の人間として自分をみつめてみれば誰でも感じていることだ。しかし、それが再び職場や家庭の現場に帰ると、そんな考えでは生きられないと、仕方なくあきらめてしまう。そんな繰り返しをしている。
それでも尚(なお)、「このいのちが生きることを能力主義で評価されてたまるか!」という声に出ない叫びが、心の奥底にうごいている。
この世間の能力主義の戦いに、勝った者も負けた者も共に帰れる大地がほしいのだ。親鸞という人はその大地を「凡夫(ぼんぶ)」と呼んだ。「凡夫」とは仏さまの智慧(ちえ)から生まれた人間評価のよび名であろう。
「汝(なんじ)、凡夫(ぼんぶ)よ」というよびかけにフト気づく。そしてそのやさしさに安らぐ。この安らぎが、日々の戦いの疲れを癒(いや)してくれる。 (邦)