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社会を見る眼
 本物の人間関係のはじまり
  第18回 <1995年11月>

いまの時代、核家族が当然となってきた。時代の違う親と子が同居をして争いを起こすのは不毛の苦しみだ。争いの起こる前に別居して予防しようという考え方だ。それはそれで、争いを避ける人間の知恵なのだろう。しかし反面、人間関係の争いにお互いに耐えて、そこから築かれるという人間関係は、希薄になってしまったようである。
 この間、実の親よりも長くつき合ってきた年老いた義母を介護して最後を見送ったという三家族の人たちのご苦労を聞く機会があった。

─痴呆(ぼけ)が進んできた義母は、枕の下に入れてある財布をある時自分で他へ移して納(しま)ったのに、それをすっかり忘れてしまう。探してあげると、「嫁に財布を盗(と)られた」と言いはじめた。─

─私も義母が亡くなりタンスを整理していたら「これを盗ってもわかるから駄目だよ!」って紙切れに書いてあった。─

─入院中にお金を盗られたと言いはじめて困った。婦長さんに聞くと、「お年寄り百人のうち八十人までそう言い出します。別に不思議なことでないですよ」と。─

 なるほど、身につまされる話である。痴呆(ぼけ)ても人間のお金への執着(しゅうちゃく)はすごい。そこで盗られたという妄想(もうそう)から人を疑いはじめる。悲しいことだけど、そこに煩悩(ぼんのう)の塊(かたまり)の人間そのものが露呈(ろてい)されてくる。疑うことの罪のなんと深いことか。

 それでもその義母と別れてみると、見送れたという安堵(あんど)感と一緒に寂しさと悲しさが入り混(ま)じって襲ってくる。そして「でも、根はやさしい人だった」と口を揃(そろ)えて言われる。

 長いつらい苦しみを超えて、「義母さんもあのときああ生きざるをえなかった人だ」と人間のもつ業(ごう)の悲しみが同感できるようになるのであろう。人間はそこまで深まらないと関係も本物になれないようである。

「『しらない!』と芯から言いきったとき、その人との関係は本物となりはじめる。〈岩本泰波)」
(邦)









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