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社会を見る眼
 情報過多の流れに抗して
  第13回 <1995年1月>
 世はまさに情報時代。家庭に、職場に、巷(ちまた)に情報があふれている。今年もまた、元旦と三日には部厚い新聞が届けられた。それにテレビ、ラジオ、週刊誌をはじめ、ファックスなど通信システムからの情報もある。こんな環境の中にあって、私たちは、最も大切なものを見失うだけでなく、その大切なものがあることさえ忘れかけている。

 情報時代では、私の生命を支えるのにお米が必要なように、世の中が発展していく生命の糧(かて)として情報が必要といわれる。

 確かに、政治、経済や企業経営の中にはそういう面もある。しかし、私たちの日常生活の上では、必要以上の情報で、むしろ情報の害が目立ってきているのではないだろうか。

 病院での検査漬けも、その一例のように思う。重病で入院しても、まず一週間は検査、検査。情報に頼りすぎて、お医者さん自身の問診、触診が疎(うと)んじられている感じ。

 若い人たちの間で、星座や血液型、日の吉凶(きっきょう)などがもてはやされるのも情報過多症の現象だと思う。常に情報が先行し、情報が揃(そろ)わないと身動きできない。「情報に頼りすぎるのは、己(おのれ)に自信がなく逃げている感じ。己の生き方に責任を持ち、その経験の中で培ってきた・感・は尊いもの。失敗しても大切なことを教えてくれる」と、ある能面の面打の方が語っていた。

 私たちは、情報の雑音の中で、大切な・音・を聴きもらしているように思う。真っ昼間、一瞬、すべての音が止んで、突然、忘れていた・音・を聴くようなことがある。ある時は虫の音であったり、手もとの腕時計の音であったりするのだが、なにかそんな中にホッとするものを感じる。

 時間を割き、すべての情報を断ち切って、静寂の中で、己の内なる真底から語りかけてくる・音・を、じっくり聴く・時・を持つことが、いま、必要ではないだろうか。 年の初めの、この一月はそれにふさわしい時期のように思う。
(昭)


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