広報紙『サンガ』
TOP > 広報紙『サンガ』 > バックナンバー > 社会を見る眼
バックナンバー
社会を見る眼
 私の痛みと他人の痛み
  第6回 <1993年11月>
 七月の総選挙では、新潟三区の動向に関心が向けられました。この選挙区に元首相の田中角栄氏の娘・真紀子氏が立候補し、その立候補の理由に興味がわいたのです。いわく、「私は福祉に目覚めました」。この言葉は誰が聞いても、父・角栄氏の病気とその看護の経験から出た言葉であることは明白でしょう。

 娘としてつらい経験をした者の言葉だけに、有権者には説得力がありました。真紀子氏は当選を果たしたので、公約通りの、福祉を充実させるための活動に期待しています。しかし、この立候補の言葉は、一方ではつらい経験がなければ福祉を自分の問題とはできなかった、ということを表しています。ごく普通の、経験主義にもとづく態度といえます。

 今の日本は、前近代社会に比べて、飢え、病気、貧困などから発生する苦痛は、格段に少ない社会になったように映りますが、まだまだ問題は多いといえます。それらの苦痛を直接体験する機会も総体的に数の面からは減少しているかもしれませんが、むしろ今日の社会が、ギクシャクして、冷たい、人の痛みがわからない人間関係になっているのも、いわゆる進歩によってもたらされた副作用のような気がします。

 人生に対しても感情が機械的になっています。機械が予定通り仕事をするように、人間も人生が自分の立てた予定通りになると考えるような、人間全体の経験と感情を否定した自己のロボット化が進んでいます。ロボットは自分の経験を蓄積することはできますが、他のロボットの経験を蓄積できません。

 私一人の経験を超えて、人間の持つ共通の問題を知ることができるためには、いつでも、どこでも、だれでもがうなずくことができる、本当の道理に拠(よ)らなければなりません。すなわち本当のものに照らし出されて、初めて、わが身の中に、人としての共通の苦悩を知らされるのです。本当の道理、それを私たちは仏法として知らされます。

(門前の小僧)


戻る

Copyright(c) 2004−2007 HigashiHonganji ShinsyuKaikan All right reserved
(このホームページの記事・画像の無断転載を禁じます)