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社会を見る眼
 おもわぬウソ『八月一五日』に
  第5回 <1993年9月>
 今年も八月一五日が巡ってきました。十年ひと昔といえば、もう五昔近いことです。

 地区の小さな戦没者遺族会の「追悼(ついとう)法要」に参列したことがあります。法要が終わって、会長挨拶を終えて食事になってから、前々から疑問に思っていたことを、となりに座っていた会長さんに尋ねてみました。「遺族の多くの皆さんは、現在の日本の平和と繁栄は、戦死者のおかげだといいますが、本当にそう思われていますか」と。

 死んだ兵士の一人一人の思いは推し量れませんが、あの戦争は、日本と兵士自身の家族の平和と繁栄のためには、植民地支配が必要であるという政策の上の戦争でした。建て前のために戦死した以上、敗戦後の、植民地を放棄した日本は死んだ兵士の遺志を継いではいません。生き残った人が、建て前にも死んだ兵士の遺志を継がない社会にあって、どうして戦死兵のおかげですといえるのでしょうか。

 こころざしのために共に戦って、こころざしが実現した社会となったとき、あるいは戦争がいかに愚かな行為であるか、そして人間は愚かな行為をなぜやめることが出来ないでいるのかを知らされるときだけが、戦死兵のおかげですといえるのではないでしょうか。

 本心では、戦争を必要としない社会を求めていたが、戦前は軍部がこわくてウソをついていたというなら、戦後は戦前にウソをついたことを隠すために、そしてウソをつかない私でありたいために、またまたおもわぬウソを捜し求めてしまったことになります。

 戦争は今も各地に続いています。問われるべきは、戦争を肯定してしまう人間の意識のあり方です。そして私たちは、自己正当化・自分自身への裏切りが人間の素顔であるかのように思いこんでいるといいたいのです。ヒトなんてそんなものだといい続ける人生に、生きることの満足を見つけられましょうか。
(門前の小僧)


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