今年の夏、お盆参りの折のこと、子どもが大阪から帰ってくる、と嬉しそうにお祖母ちゃん。お祖父ちゃんは、孫と、カブト虫を採りに行く約束をしたという。昨年のカブト虫は、持ち帰った大阪で卵を産み、孵化したカブト虫は幼稚園の友だちにあげたらしい。この子なら「カブト虫がこわれた」なんて言わないであろう。子も孫も、そして祖父母も、いい夏になりそうで、聞いていた私も嬉しくなった。
ところで、こうした経験は、気づかぬうちに"いのち"の深みに貯えられ、人生で遭遇する誘惑や困難を乗り越えていく"いのち"の免疫力になっていくのではなかろうか。
現代社会は病んだ情報があふれている。猛暑の続く中、「闇の職業安定所」という掲示板で知り合った見知らぬ者同士が、通りすがりの女性を殺害して金を奪うという事件がおこった。ワイドショーなどで賑やかにその原因究明をしていたが、私には何よりも、病める時代の中でひそかに進んでいる"いのち"の免疫力の衰弱こそが根本原因である、と思われてならなかった。
猛暑をもたらした地球環境の悪化は、そのまま、"いのち"の危機でもある。弱った"いのち"は困難を受けとめる力が弱く、悪に染まりやすい。そこは、お金や学歴などの間に合わない領域である。
人生は苦難の連続である。その中にあって、なおも、人を信じ、人を愛し、人を歓ぶ者になれるかどうか。このことこそ、いつの時代にあっても人生の根本問題であろう。時代が病んでいっている今、何はさておき、"いのち"の免疫力を育てることこそ急務なのではなかろうか。