人間以外の生き物は、子どもを生み育てることの出来なくなった時が、寿命の尽きる時だという。人間だけにしかない「おばあさん」という存在は、生物学上の謎であるらしい。
野呂昶という詩人が「むらさきいろ」を、
おばあさんがそめた ふろしき
わたしが うまれたひの
よろこびを つつんだ
たからものの ふろしき
と詠っていた(『いろがみの詩』)。おばあさんが手にする「たからもののふろしき」とは、「いのち」を賜っていることの有り難さ、勿体なさに掌を合わしている心であろう。
ところで親の本能は、いつまでも誕生の歓びに止まっておれない。子どもが成長するにつれ、独り立ちするよう突き放し、鞭打つようになる。生き物は皆こうして親から独り立ちしていくのであろうが、しかしそれだけなら、関係の断ち切られた「個」としての独り立ちである。「個」はいくら集まっても集団にすぎず、人間社会のような共感と信頼に基づく共同体を形成することにならない。
人間は他の生き物と違い、親の子育てにおばあさんが参加した。自立を促す父母の変身にオロオロする子どもを、おばあさんがそっと背後から抱きしめた。こうしたおばあさんのフォローによって、人間は「個」に陥る危機を乗り越え、「孤独」を厭い「共生」を欣う存在になったのではなかろうか。
今、他者に対して共感できない子どもたちが増えている。彼らの心をたどっていけば、幼い時の「おばあさん」の不在にたどり着かないか。子どもはおばあさんが大好きである。