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 絶対の基準
武田 定光(親鸞仏教センター嘱託研究員) サンガ第80号 <2006年3月>

イメージ 「耐震強度偽装事件」は、日本を大きく揺さぶった。まさか21世紀の日本で、このような事件が起こるとは、だれも予想しなかったことだろう。自己の利益のためには、建築基準を逸脱してもやむを得ないという感性への恐怖、さらに、たとえ偽装しても公的機関がチェックできないという二重の恐怖である。これは「生の基準」をどこに求めたらよいか分からない現代人の闇部が露呈した事件である。自己利潤のためには、他者を危険にさらしてもやむなしという自己中心性を批判する基準が必要だ。それは、人間が作り出せない基準である。なぜならば、人間は本質的に自己利益・自己保身を是とする生きものだからだ。その自己利益・自己保身を批判する視座は、「如来」にしかない。

 以前、アメリカの社会学者が「日本人には罪という感覚はなく、恥ということしかない」と批判したことがある。恥というのは、人間対人間の関係で生まれる。だから、ひとが見ていなければ悪事をしてもなんとも感じない。しかし欧米は、神対人間の関係だから、ひとが見ているいないにかかわらず守るべき基準をもっているというのだ。神という基準があると。現代の欧米社会を見ていると、果たしてそれが通じるものか疑わしくもなる。しかし、そこから考えてみると、確かに日本人は「絶対の基準」、つまり人間の発想自体を根底から批判する基準をもっていないようだ。この事件を通して見えてきたものは、日本人のこころの基準に、絶対の基準がないということだ。その基準を仏教は「如来」として教えてきたのである。


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