4月に起きた神戸(尼崎)の列車事故は、私たちに、大変なショックを与えました。107名の方が亡くなり、500人近くの方々が負傷されました。正確さと安全性で定評のあるJRが、あのような惨事を引き起すなど、まったく考えも及びませんでした。「安全・快適・便利」を享受している現代人にとって、まさに青天の霹靂というべき大惨事でした。
しかし、やがて一年もたてば、私たちの記憶から事故は消されてゆきます。ただ、当事者は、一生記憶から取り除かれることはありません。なぜ肉親が亡くなったのか?
という問いを、一生抱えていかざるを得ません。
しかし、突き詰めれば、事故は、決して死の原因ではありません。あくまで縁です。つまり「条件」です。事故や病気や老化は縁です。死の根本原因は、「誕生」なのです。この世に「死すべきいのちとして誕生した」ということです。それ以外に死の原因はありません。別の言い方をすれば、「誕生」という事故に遭ったのです。私たちのいのちはいつでも死に裏打ちされています。死=危険と考えれば、危険の上に、日々の暮らしが成り立っているのです。誰も、この危険から逃れることはできません。家から一歩も表へ出ることがなくても、この危険から逃れることはできません。そのことに思い至るとき、停まっていても危険、動いていても危険であれば、敢えて、危険を受け入れて日々を生きてみようという勇気が湧いてくるように思えます。