広報紙『サンガ』
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 老いとの対話
1999/5/29 <4 of 4>


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講演後、会場からの質問に答える浜田晋先生

 本(手引き書)は役に立たない・自分が勝負
 
 「わたしがこの母親に痴呆性老人というものはどういうものであるかというものをいろんな事を学びました。本には書いてございません。ノウハウものというのですか、こんな時にはこうしたらという本がたくさん出ていますが、こういうものは、一切役に立たない。出たとこ勝負ですね。人間が生きていると言うことは、どういうことなのかと言うことを根本から問い直させてくれる病だと私は、この母親で思いました」
   
 母親その(2) 憎悪の固まり・悪女を生きた
 
 「次に私の母親に参ります。来月100歳になります。お金をいくら県知事さんが持ってくるのか楽しみにしています。表彰状かなんかもって来るんでしょうね」

 この母親は特殊な生育歴を持っています。というのは、もう10数年高知の病院に入院しております。とても一人では生活できない。元々家事能力の著しく乏しい母親でありまして、父親がほとんど家事をやっておりました。そしてこの父親をものすごく嫌ってたんですね。数年前までは、私が高知へ帰るたびに、うちの父親が嫌いやったと、自分の一生はこの父親と結婚したときから間違った。100にもなってですよ、父親が死んでから40年もたってですよ、まだ自分の亭主が嫌いやったと。言うことかいてからですね、『こう言う憎しみ合った夫婦は味気ないもんぜよ、お前ら仲良くしなけりゃいかんぜよ』。こんなこと言うんですね。とにかく、母親は父親を憎んでおりました。そして夜中に父親が帰ってくると叩き出す。父親の悲鳴が聞こえる。そういうことが何度も私の幼い耳に残っております。もうひとつ。私には兄がいました。5つぐらい上ですが。この兄が非常にかわいい。うまれた時にかわいくて、美しくて、利発で、学校の勉強もよくできて、人には好かれるし、いい子だったんですね。ところがそれに比べて晋、私のことですが、『晋はへごな子じゃった・・へごなとは悪いという意味ですが、・・顔は不細工じゃし、やんちゃで兄貴を泣かしよって、ほんとにへごな子じゃった。ええ子が先に死んでしまって、悪い子だけが後に残った、晋と治(兄)が入れ替わっておったら私はもっと幸せな人生が送れたはずじゃった』。帰るたんびにそれを言うわけです。それを誰彼にも言いますから、私はどんな悪やつかと高知へ帰るたんびにみんな見に来るんですね」
   
 悪女が仏になる出来事その(2) 信じる人が現れた 
 
 「それからもう一つ。実に素敵な、古き良き日本人、付き添いさんがつきました。高橋光子さんという方ですが、実に地味で、黙ってひたすら耐える、すばらしい日本のお母さんですね。偶然にしてうちの母親と出会った。そして初めて母親は人間というものを信ずることができたんではないか。この高橋光子さんとの関係の中で、人間を信ずると言うことができたんでないか。それまでは、人間に対する不信感の固まり、憎悪の固まりであった。それがむき出しであったのがですね、この高橋さんとの関係の中で、変わった。90すぎてなお人間は変わる力を持っている。再生する力を持っているということは、長生きの効用と言うことでしょうかね。そして高橋光子さんを『おかあさん、おかあさん』と呼んでいます、今。我々がいなくなっても何とも言わないんですけども、その高橋さんがいなくなると非常に怯えたようになってですね、追い求める。これがかりにうちの家内、嫁、あるいは娘がいたとしてその娘が介護して果たしてこういう関係が成り立つだろうか」
   
 『その他の関係』の人に救われる
 
 「私はどうも、母親と高橋さんのような関係はできなかったんではないかと。鶴見俊介さんの言葉を借りますと、『その他の関係』というんですね。こういう全く赤の他人との間に、非常に濃厚な、家族以上に家族の関係を越える関係がつくという。そういう関係があり得るという。これは法律用語では、『その他の関係』というんだそうですけども、その他の関係だからこそ母親は高橋光子さんを信ずる。それから信ずることによってほんとに仏のように穏やかな、夜中にきんきんきんきんする声が全然響かなくなりまして、静かに穏やかな暮らしができるようになりました。たまに私が参りますと、『治?治かよ、治じゃない晋か』なんて、兄と思うんでしょうね、私が行ったら。そういうことをたまには言いますけども、とにかくこの母親は人を信ずることができるようになりました」
   
 変わった母に自分が救われる
 
 「こうなりますと、私の母親に対する憎しみの感情、先ほどから母親をぼろかすに言っておりますが、そういう気持ちも少しずつ変わってくるわけですね。『あー、よかった』と。あのまま母親がですね、周りを罵り続け、父への憎しみを、怨念を口にし続け死んでいったら、私の中にもやはり母親、父親への思いというものはまた違った形で残るだろう。しかし今母親がああやって静かな仏さんになってくれるということは、私の人間に対する見方というものを少し変えてくれるかもしれない。これは、どんどんどんどんと回転していくですね。母親がよくなれば、私もよくなっていくという、そういう関係が、私がよくなると母親への当たりも穏やかになって行くでしょうし、そうすると母親も私に対する感情が変わってくる。そういう関係がこの高橋光子という、付き添いさんを媒介とすることによって、見事に変えられた。変わっていった、ということ」
   
 最後に
 
 「私の妻の母は92年をほんとに見事に美しく老いて見せた。そして最後に毒をはき続けて、90年も生きてきたらいろんな毒がたまっていますよね、心の中に。それを全部吐き切って死んでいった。

 うちの母は毒をはき続けて、最後は毒がどこかへ消えてしまって、仏になって死のうとしている。特殊な2例かもしれませんけども、長く生きると言うことは私たちにいろんなものを与えてくれる。そして、新しい命を私たちにつないでくれる。一人の人が死ぬと言うことは、決してそれで終わりではなくて、そこからまた新たな命として、よみがえって、それがずーっとつながっていくことによって、人というものは成り立って行くんではなかろうか、という風に思います」

 私の好きな、天野ちうの詩を最後にひとつ。

 

 財布に鈴をつけている老女 猫と暮らしている
 一人と一匹の静かないえ
いえを出るとき老女は財布の鈴を握りしめてそーと 戸をあけてでていく
うっかりして鈴が鳴ると猫ははどこまでもついてくるので
家の前で老女の帰りを猫は待っている 姿を見ないうちは家へ入らない
そっと家を出た老女が道で車の事故に遭う そのまま病院に運ばれて死ぬ
暗い家の前で猫はいつまでも待っている
向こうでかすかに鈴が鳴る うれしそうにすこし顔を上げて猫はなく
着物を着た童女がよちよちと歩いてくる
赤い帯にちいさなかわいらしい鈴をつけて老女そっくりのかすかな姿で

夜中に何遍も目が覚めて困る 一人の老人がこぼす
それは便利のことだよ もう一人の老人が言う
だって自分が死んでいくのかどうか確かめるのに好都合じゃないか
それから二人ともしわがれた声で小さく笑う

 小舟

若い人は物持ちだからあたりの景色も見ずに どんどん先に行くのもよい
老人は貧しいから物惜しみをしなくてはならない
生から死に向かってきわめてゆるやかに じぶんのふねをこぎなさい
あたりの景色をじっくりとみつめながらゆっくりゆっくりこいでおゆき
めいめいの小さな船を

「おそまつでした」
   
 

*本稿は1999年の真宗大谷派東京教区同朋大会の浜田晋先生の講演録です。


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