鳥取の知人から毎年西瓜が届く。ラグビーボールの2倍ほどある巨大な西瓜である。
年をとるとあまり食べられなくなる。私のように西瓜大好き人間でも、この大きさでは4分の1がやっとである。妻は好まない。近所に7人家族で何でも喜んでもっていってくれる人がいて、今回も4分の3は差し上げることとなった。早い方が良いということで切ろうと話がきまった。玄関のたたきに置かれた大きな箱から、玄関の板間にビニールを敷いてそこに移そうとした。両手で持ち上げようとしたとたんのことである。腰に衝撃が走った。「あ!またやってしまった!」と思ったがあとの祭り。人間とは愚かである。
自分はぎっくり腰の常習犯であることは、若い頃(40代)からさんざん痛い目にあわされて知っている。だいたい1週間くらいで良くなるのであまくみていた。なんの魔がさしたのか、両足をそろえたまま西瓜を真上に持ち上げてしまった。これがいけないことは、患者にはよく言っている。「片足を後ろにひいて腰をおろして伸ばす反動で持ちあげよ」と。
ところがいざという時にふとやってしまう。年をとるということは、ちょっとしたことが「死」に直結することがある。いつも「死」と隣りあわせの世界に住んでいるのだ。椎間板ヘルニアになって、寝たきりとなり、そのまま再起できなかった人もいるからである。
私は幸いにして今回も1週間でほぼ良くなった。週1回でも泳いでいるから筋肉はまだ丈夫なことも影響しているのであろう。だが翌々週、プールへ行ってみてびっくりした。もう300m泳ぐのは無理である。1週間寝ていただけで、全身の筋肉が弱っている。老いとはそういうものである。とにかく回復が遅い。それに余病を併発する。このたびは便秘であった。老人はただでさえ便秘傾向がある。睡眠剤をのんでいる人など、さらに輪をかける。トイレの中でうんうんうなるのは楽ではない。しかも腰が痛いのであまりりきめない。顔を洗うのもきつい。腰がまがらないからコルセットをしながら、両ひざをかがめて、へっぴり腰で顔を洗うことになる。どうしてもそこら中をよごす。洗面所をよごすことに対して妻は過敏である。文句を言う。私は腹が立つ。黙っていると不愉快がつのる。かくてまったく些細なことが、雪だるまのようにどんどんと大きくなっていく。老いとはやはり悲しいものである。