私は毎朝四谷駅からJR線で上野までかよっている。ラッシュアワーが一段落ついてからだから、駅ホームはわりに静かである。ぼんやりといろいろな人を眺めるのが結構たのしい。
先日、久しぶりに年の頃70歳位であろうか、うず高く大量の荷物を背おっている老婆にあった。私にいきなり聞いた。「何かあったんですか。津田沼行きばかりしか来ないんですよ」と。「そのうち来るでしょう。こういう時は待つしかありませんよ」と、つい無責任なことを言ってしまった。幸いその直後、千葉行きの列車が来る放送があった。老婆は私の顔を見てにっこり笑って「あーよかった……」と言った。それから秋葉原まで一緒に席をともにした。
その大荷物をどうするのかと見ていたら、座席に後ろ向きになって「どっこいしょ」とおろした。それから結び目についている長いひもを持ちあげてつり革の横棒に手早く結んだ。荷物がずりおちないためだろう。そしてポーンと一つ結び目を手でたたいた。そのリズムのよさ。私は感動してしまった。え?たったそれだけのことで!と人は言うかもしれない。でも私は前日ある学会に出て「近頃の若い人はぞうきんをしぼることが出来ない」という話を聞いていたせいでもあろうか。そして荷物の前に立った。たまたま前に座っていたどこかのおばさんが「あなたここに席がありますよ」と声をかけた。しかし彼女は「有難うございます」と一言言っただけでどこ吹く風と車窓を眺めている。
窓の外は外堀で、大分水もきれいになり、その先には自動車が行き交いちょっとした眺めである。おばさんが言葉を続けた。「ご苦労様ですね。そのお仕事をなさる方も大分減ってしまってなつかしいわ」とおっしゃった。
かつぎ屋さんはたしかに減った。昔は東京近郊から群がって、おばちゃんたちがとれたての魚や新鮮な野菜や果物、そしてさまざまな日用品を運んでいたものである。きまったお得意様があったようだ。しかし最近は彼女たちをほとんど見ない。老いたのであろう。
私も学生時代かつぎ屋をやっていた。仙台近郊の農家に住んでいて登校前に小麦粉を持って汽車に乗り、東一番丁のラーメン屋にとどけ、それから登校していた。時には禁制の塩まで運んでいた。当時闇屋といった。その老婆のたくましい姿を見ながら、私はいつしかじーんと胸に来た。