2005年77号サンガでとりあげた四谷の外堀公園の青テントの老人のその後について語りたくなった。あれから1年がたった。そしてその老人は消えた。去年暮れ頃であろうか。突然のことだった。老人とともにその青テントも消えた。
官僚は時々歯をむきだして暴力を振るう。台東区でも上野公園のホームレスを1年に1回職員が一夜かかって一斉に検挙して、風呂に入れ、衣類を与え、検診して数ヶ所の公的な保護施設に入れる予算がついている。一度決められたことだろうから緊縮財政の中とはいえ、今でも実施されているのだろう。福祉事務所の一大イベントであるやに聞いた。しかし施設に入れられた彼らは「自由」を求めてやまない。大イビキをかくだけでリンチを受け、逃げださざるを得ない人もいる。1人減り2人減り1年もたてばまた元の木阿弥をなる。したがってまたそのイベントが実施されることとなる。
話がそれた。その老人のことである。そこを毎日通る私は「さみしいなあ……道が大分汚れたなあ……朝顔は……」と思っていた。
ところが半年たって、彼は戻って来たのである。げっそりとやせて、別の人かと思いきや、よくよく見ると彼である。もう10歳も老けた。はじめ公園の中央にある大きな石に座って茫然としていたが、数日後公園の一番はしに窮屈そうなテントをつくって、そこでまた暮らし出した。そのうちにまた掃除をはじめた。「もう掃除はいいよ!無理だよ!」といいたくなったが、彼はのろのろと少しずつ掃除をはじめた。サラリーマンのポイ捨て煙草もみるみる減っていった。そして今年も朝顔を植えたのである。天候の不順もあってか朝顔はひょろひょろとしか伸びなかった。しかし彼は少しずつ元気をとり戻した。
ところが夏も終わり秋の虫が大合唱をはじめた頃、また彼は消えた。青テントだけがしばらく放置したままになったが、やがてそれも消えた。病院?施設?死? 毎朝毎朝、私は彼の姿をおったが無駄だった。数日前貧弱な朝顔が2、3輪おそい夏を咲いたのが、せめても彼の生の証となった。