日本のサラリーマンの定年は、現在ほぼ60歳である。だから平均寿命からして20年間、多くの男性は仕事なしに生きることを強いられる。そこで新しい、本人の納得できる仕事はほとんどない。60年間積上げて来た知恵の多くは徒労と化す。そして多くの人は「自分の人生はもう終わった」「一体自分の生はどんな意味があっただろうか」と会社や役所(高級官僚を除く)を呪う。
前を向いて新しい生を模索せよ!自らの歩んで来た道を振り返り後世の人に伝える仕事をせよ!と言ってみても、人間とはコンピューターをリセットするようにはいかない。
60歳を迎える間に、その後の生の準備(助走)を考え、その準備をしておけ!と言ってみても「忙しい。そんな余裕はない。今日一日が精一杯、先のことなんか・・・・・・」とおっしゃる。だからその時は突然おそって来る。まるで不意打ちをくらったように、当たり前のことがやって来る。人間とはそういう存在なのである。
ただ得るものもある。時間である。自由な時間である。今までは会社の仕事のために奪い取られてみっちり詰まっていた時間が、我が手に得る。そこから新しい自由な時間が始まるといってよい。
主婦はその60年間いろいろと模索し、悩み、失敗し、自覚し、豊かな生をすでに手にしている。そこに断絶はない。そしてその後の人生にもはや「夫」を必要とさえしていない。かえって「昼飯をつくったり」「その肉塊(粗大ごみ)として夫が存在していることがうざい」。今までの恨みを晴らす時期到来である。「熟年離婚」というドラマを最近見たが、妙にリアリティがあった。渡哲也の途方にくれたそして怒りの表情と、松坂慶子の今まで見なかった醜い姿が印象に残った。
その人たちがたまに精神科医を訪れる。夫は妻を呪い、妻は夫を呪い「じゃあ別れちゃえ」と医者がうっかり口にすると、「そこまでは・・・・・・どうしたらいいか相談に来ただけです」と言う。昔は知恵者がいて、いろんな相談ができる場が地域にあっただろうに、今崩壊した地域にはそんな場はない。そして精神科医を求めてやって来るが、そんな人々を相手にしている程、今の精神科医はひまでない。それに適切なアドバイスのできる精神科医などいない。「精神分裂症」ばかり診て来た私などは、ノーコメントである。そこで・・・・・・(つづく)