広報紙『サンガ』
TOP > 広報紙『サンガ』 > バックナンバー > 老いるについて
バックナンバー
老いるについて
仕事を失うこと(1)
浜田クリニック 浜田晋第80回 <2006年3月>

 仕事の対比語として「遊び」と「無為」がある。日本人は概して遊びが下手である。生真面目すぎる。若い頃はそれが社会に活力を与える。それが当たり前であった。戦後日本の女性が働きだして、日本社会は豊かになった。「遊び」も女性はうまい。昨今、映画館へ行っても、美術館へ行っても、音楽会に行っても、旅行しても、ほとんどおばさんたちの小集団である。とにかく元気。声が大きく、際限なくしゃべる。「うるさい!」とどなりたくなるが、このエネルギーによって日本文化は今支えられているのかもしれない。

 私の趣味は多数であるが、そのうち版画のコレクションがある。高価なものは買わない(買えない)。おおむね新人で安いものを買いあさる。ところが最近それがほとんど女性である。力がある。華やかである。美しい。そして変化する。それに何より安い。直接お会いすることもできる。先日も真宗のお寺さんの娘さん坪内好子さんにお会いできた。デビュー17年。当初からその作品は持っている。そして年々進歩する過程を見るのがとても楽しい。いつの日かデートするのを楽しみにしている。またも横道にそれてしまった。老いとはこんなもんである。男の新人に会ったことはない。ほとんどがひ弱で優しく、内に秘めた力がない。

 女のお坊さんが少ないのはなぜだろうかとよからぬことを考えたりする。そして今なお権力の座に男性が座り続ける。だから小泉に代表されるごとく中味がない。男(特にサラリーマン)から仕事を取り上げたら、ほとんど廃人である。四国に橋をかけた有能な男を知っている。定年退職後は見る影もない中年男である。「何もすることがありません。何も面白いことがありません。朝起きて今日はどうしようと、途方にくれるばかりです。早くお迎えが来るのをぼーっと待っているだけです」と繰り返す。私が「どうしてあの四国に3つも必要もない橋をかけたのか?書いておいてください」と問うてみたが、「確かに3つも必要ないですねえ」とつぶやくだけで「そんなこと書いたら大事ですよ」という。高度成長期日本のありようがどうであったのか、その総括が必要であろうものに。彼らは「無為」である。私の退職後は遊ぶこと(女性が必要)と、私がどんな医師であったのかを総括することである。


戻る

Copyright(c) 2004−2007 HigashiHonganji ShinsyuKaikan All right reserved
(このホームページの記事・画像の無断転載を禁じます)