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老いるについて
 骨折(その2)
浜田クリニック 浜田晋 第67回 <2004年1月>

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 骨折から受けるダメージは老人にとって致命的でさえある。「立つ」ことがいかに大変であるかを私は思い知らされた。

 立ったり座ったり歩いたりすることは難事業である。骨は何にも言わないが、人を支えている。人間は四つんばいから立つことによって、手をフリーにして人間たり得た。「立つ」ことと「言葉」を持つことは二大事業となった。

 寝たきりになると、たちまち呆ける。私はこの四ヵ月、ほとんど本が読めなかった。好きな小説もほとんど読めない。足の小さな骨ぐらい折ったって精神生活には関係がないだろうと思いがちであるが、それがちがうのである。

 私にとって下駄骨折は、ほとんど死んだような三〜四ヵ月であった。
幸い、いい先生に恵まれて、やっとタクシーに乗ってクリニックを往復、最低の診療は出来たものの―患者さんに励まされ、励まされ―これがギプスなどはめられた日には、日常生活は成り立つまい。

 その後、時々私は足を見つめることがある。手はよく見つめることはあったが、足を見ることはほとんどなかった。足の爪をつむ時、めんどうくさいなあ、老人はどうやって足の爪をつんでいるんだろうか、と思ったりした。
そういえば私の母が入院した際、ナースが一番はじめにやったことは爪を(手足とも)つむことであった。

 足は五体を支えている。精神を支えているといってもいいかもしれない。
いつも老人の診察時「ころぶなよ! ころぶなよ!」と繰り返す。誰もころぼうと思ってころぶ人はいないだろうから、ほとんど無意味かもしれないが、骨折は死を意味しかねないからである。

 大腿骨頚部骨折というのが一番悪質である。すぐ寝たきりに直結する。運動をやっている老人はよけいである。今まで歩いたり泳いだりしていた老人がいきなり動けなくなると、よけいに致命的である。都市の道は魔物が住んでいる。ちょっとした段差がこわい。いきなり自転車がぶつかってきたりする。近代都市は老人にとってあぶない街である。


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