高知の病院で生きている104歳の母を見舞うことも、年2回がやっととなった。
もう私であることもほとんど認知しない。自分の弟であったり、あかの他人であったりする。一番大切な人は20年も付き添って「お母さん、お母さん」と甘えている付添い婦さんだけとなった。夫への憎しみも、私の兄への偏愛も消えた。ただ、食べることへの欲望は強い。
私も老いた。日々の暮らしがやっとである。診療所も週2回に減らした。しかし母への仕送り(月40万円)のため、やめるわけにはいかない。わがままな母を30年近くも入院させていただいている病院には、ただただ感謝しかない。
今や「病院」と「地域」は逆転した感がある。もと母の住んでいた古い街は、もうほとんど廃墟である。商店街はほとんど消えた。郊外に巨大なスーパーが出来て、街の人は車でそこへ買い物に行く。車の運転が出来ない老人は買い物する店がない。ヘルパーや保健婦さんがたまに車で老人をつれて大型店へ行くが、そこはもう彼らにとっては外国のような世界で、自分が何を買っていいかわからないという。
「病院医療中心からコミュニティケア中心へ」というむなしいキャッチフレーズは聞くだけで腹が立つ。
郷里の病院(母がいる)の中には、多くの人が出入りして賑わいがある。笑い声がする。方言も生きている。お掃除のおばさんが長話をしていったりする。そこには小さなコミュニティがあるのである。ほっとする。
病院と地域は逆転したといえよう。
だから老人は病院に入るしかない。1人ではとても今の村や街では暮らしていけない。 病院へ病院へとドライブがかかっている。これでは医療費が激増するのも当然であろう。
厚生労働省は医療費をこれ以上増やしたくないといって、3カ月以上入院していると、病院に支払う入院費を極端に安くする政策をとった。だから普通は3カ月たつと、家族は新しい病院さがしに奔走する仕事を強いられることとなる。
豊かだった国が、爆撃こそないものの、根本からがらがらとくずれていく。
「病院」の中にささやかな安らぎの空間がのこされている。夏休み、私はまたそこへ帰っていかねばならない。