数年前からだんだんものが見えなくなった。
洋画を観てもスーパー文字(字幕)が見えず、それでも「映画は映像と音・リズムだから、すじなんかどうでもええわ」とやせがまんを言っていた。「自然にまかせればいいよ。老いてだんだんものが見えなくなるのは、かえって仏さんのおめぐみや」とも。
浜田クリニックの隣の酒井眼科さんからは、「先生、手術なさったら良くなりますよ。今どき白内障の手術なんか簡単なもんですよ」とずっと言われ続けていた。
でも、「これでいいんですよ」とほってあった。
ところが、去年あたりから眼が疲れて疲れてしょうがない。患者の表情や細かい動きが見えづらくなってきた。「眼が死んどる!」と患者に言われてしまう。
やむなし。
二〇〇二年十二月、三井記念病院眼科で三泊四日の両眼手術となった。
半隠居の身となって、週二日(土・日は別)休めるようになり、少し余裕もできたせいもあろう。
さて入院してみて久しぶりに「患者」になり、こんな楽なことはないなあ、とまず思った。死ぬの生きるのと言う患者の話を聞くこともない。診断書やさまざまな事務書類(今日、医者は半分事務員である)を書くこともない。ただ、寝てればいいのである。「こうしろ、ああしろ」と命ぜられるままに、それなりに行動すればよい。
「あー患者は楽でええわ」
と、ついナースにこぼしたら、「白内障は病気のうちに入り
ませんからね」と言われてしまった。
外来は大勢(ほとんど老人)が右往左往する戦場であったが、個室病棟は夜になるとしーんと静まりかえり、時おりナースがどこかの部屋に走っていくくらい。
廊下のソファーに座ってぼーっと時を過ごした。
十数年、私も病院で働いていた。当直もした。ふと、とても懐かしい「もう一つの世界」に帰ったような気がした。
静かだ。
窓からはあの慌ただしい「日常の生活」が、今はキラキラと光りまばたいているだけ。
ふ…っと「死」を思う。