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老いるについて
 「定年」(その4)
浜田クリニック 浜田晋 第60回 <2002年11月>

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 ひとは落差に弱い。

 なぜ自分だけがこんな目にあわないといけないのか? と、くりかえしくりかえし自らに問う。

 今まではみんな一緒だった。

 朝目覚め、口をゆすぎ、顔を洗い、ひげをそり(化粧をし)、洋服を着て(ネクタイをしめ)駅まで歩く。ギュウギュウの電車に乗り、会社のある駅で降り、そこまで走る……。

 幸せを感じてはいなかったが、みんなそうしているのだから仕方がない。

 そんな暮らしが30年か40年。

 そりゃあ同期の桜が出世して、椅子までかわって、廊下でバッタリあうと眼をふせ、そ知らぬ顔してトイレに入ったり、ちょっとみじめであるかもしれない。

 仕事が終わって部下を連れて赤提灯に入り、一杯飲んだりも出来た。

 しかし、今は何もない。

 朝目覚め、口をゆすぎ、顔を洗い、ひげをそる、まではいい。

 しかし、その後どうするか?

 何もやることがないのである。

 うっとうしかったラッシュアワーの人いきれの中に、自分はいない。

 もう上司の顔色をうかがうこともなければ、かわいい女の子に色目をつかうこともない。なにもない。自由である。

 自由とは、力のあるものにとってはほとんど無限の可能性を秘めている。しかし力のないものにとって、その自由は苦しみと化す。

 私はこんな話をする。

 「そんな時は、あなたにとっての30年間の苦渋の生活を書かれてみたらいかがですか? あなたにとって会社という世界は、日本という国のありようは、何であったのか。この高度成長期という社会のありようは、一体どういうものだったのか。
そして今のあなたは、日々どんな気持ちで生きているのか。時間はたっぷりとありますよ。会社や日本の正体をあなたの眼でじっくりと見つめ、それを表現することは、この時代をあなたが生きた証ともなり、子どもたちにそれを伝える意味は大きいでしょう。ぜひあなたの遺言を……」と。

 しかし多くの人は口を閉ざす。「もうそんな力は私にはありません」とつぶやくばかりである。


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