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老いるについて
 「定年」(その3)
浜田クリニック 浜田晋 第59回 <2002年9月>

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 定年といえば、ある人が役所や会社や学校などで働き、一定の年齢―例えば60歳とか65歳とかで、後進のために身を引くことかと思っていた。たとえ定年制度のないところでも(私もそうか)、自らの限界を感じ、自ら幕を引くことも含めていいだろう。

 ある種「いさぎよさ」という美学も、昔日本にはあった。隠居である。

 私のクリニックに通う江戸指物師は、まだまだ私が立派なものと思っているのに、63歳で仕事をきっぱりとやめてしまった。「思うようなものがつくれなくなった」と自分で思ったからである。出来上がったものが自ら許せなかったからであろう。

 時代は変わった。

 たとえば、個人タクシーがある。私は60歳を過ぎ、にわかに疲れを感じ、仕事が終わると毎夜タクシーで帰ることにしている。自宅まで2300円前後。私の贅沢の一つである。タクシーには会社と個人がある。会社には定年があって、老人はいない。

 ところが個人タクシーさんの年齢はさまざまである。

 一見して、よぼよぼのおじいさん(私が言うのもおかしいが)がいる。あるとき高速で羽田まで行ったが、生きた心持がしなかった。とても時速100キロのスピードでラッシュの道は無理である。ところがこの老いた個人タクシーさん、ほとんどが「自分はまだまだ元気である。これが私の一生の仕事!」と胸をはるのである。

 80歳を過ぎた方が東京に何人もおられると聞いた。

 これは社会的な問題であると同時に、自ら「老い」をどう受けいれるか、という基本的な問題でもある。

 リストラ定年というのもある。ある巨大会社が合理化をはじめた。45歳から55歳まで(いわば働き盛り)の人を半分に減らそうとしている。定年の前倒しであり、退職金にプラスアルファがつく。その説明会に200人の人が集まったという。今、3000万から5000万のお金がドンと手に入るのはある種魅力がある。しかし果たして、その人はあと30年40年をどう生きようというのであろう。

 このように定年は、さまざまな問題を私たち自身に問うてくるのである。


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