お坊さんに定年はなかろう。
農家の人にも定年はなかろう。
職人さんはどうだろう。
医者はどうか。
はっきりしているのはサラリーマンである。
真宗が都市にきりこむことを指向した以上、「定年」の問題が大きな課題となる。
そこをさけては通れない。ところが、お坊さんは「定年」についてよくわからない。
無理もなかろう。自らの問題ではないのだから。
医者はどうか。
勤務医や大学の先生は定年がある。しかし、定年退職後、普通の医者として働く逃げ道がある。
町医者はどうか。あるような、ないような。
厚生省は医者の定年を作ろうと考えたことがあるらしい。
しかし、老いぐらい多様なものはない以上、70歳以上の名医から免許証を一律にとりあげることもできまい。
日野原重明先生は90歳を越えられたであろう。
さて精神科医は。私はあるべきだと考えだした。
少なくとも私は自らに定年を決めようと思っている。
決心した以上早くしなければならない。
そして今年から準備をはじめた。
町医者は継続性を命とする。そして同じ医者が居つづけることが本質である。ただ限りある命。
私。75歳。精神科医の限界を感じた。
興奮患者がはこばれてくると、テキパキと対応ができない。
心悩める人の話をじっくりと聞く根気がなくなった。その人にとって、今、何が問題なのかを洞察する力がなくなった。
凝視する眼に、もはや力がない。2〜3時間、診察が続けられない。
精神科医はやさしさだけではつとまらない仕事である。想像力もにぶった。
だから、定年退職を決意した。
さてこれからが大変である。後継者選び。古くなったビルから新しいビルへの転居。引っ越し。本や資料を捨てる。30年間のあかをおとす。そして新しくしてゆずる。
一番大変なのは患者への説得である。