広報紙『サンガ』
TOP > 広報紙『サンガ』 > バックナンバー >老いるについて
バックナンバー
老いるについて
 老人と住居(1)
浜田クリニック 浜田晋 第52回 <2001年7月>

ロゴイメージ

 福祉の現実は住居にある。

 私はそのことを兵庫淡路大震災で改めて思い知らされた。学校などの避難所(初期)でも、仮設住宅(中頃)でも、立派な復興住宅(後期)でも、それぞれに老人たちに与えたダメージは、はかりしれない。その中で、多くの老人たちが死んでいった。それはすでに救出の段階から浮き彫りにされた。自力で逃げられない老人たちは、若者よりはるかに多い。

 一つだけ象徴的な事件を記しておこう。消防団の救出にまつわってのことである。淡路島の消防団はほとんどが地元の人であり、それぞれ老人のことを知りぬいている。救出に行っても「あのおじいさんはこの部屋にこっちむいてねてはるから、この辺を掘ろう」と即座に活動がはじまる。頭部のあたりを念入りに掘り出すことができるのである。

 ところが神戸となるとそうはいかない。地元の人はいないし、特に県外からかりだされた消防士や自衛隊員では、この家に○○さんが住んでいることがすでにわからない。「呼び声」だけがたよりである。大都市に住むことはそれだけの危険をすでにはらんでいる。淡路島の暮らしが、人間の暮らしの本来の姿であろう。一旦災害がおきるとそれが浮き彫りにされる。「福祉」を支える基盤とはそういうことであろう。

 避難所の暮らしにもそれが鮮明となる。はじめは「あんた生きとったんか!よかったなあ!」と涙があり、よろこびがあった。隣り近所の日頃のつきあいがそこで生きるところと、われ先にと、楽な場所を大きくとろうとする強者の生態が―隣りは何をする人ぞの大都市の暮らしの中で―明らかになる。そして次第に、身寄りのない貧しい老人のみがだんだんとりのこされていく。豊かな老人(家族にとりまかれた)と貧しい老人(ひとりぐらし)が分別されていく。

 そして行き場のない老人が、人里遠く離れた仮設住宅に送られていく。そこはもはや神戸ではない。しかも全く地域性のない人々があちこちバラバラに抽選によってふりわけられてくる。「避難所」にあった「近所の人」+「顔なじみ」の人々がそこにはない。そこは劣悪な住居条件ではない。長田に生まれ長田に育ちそこで働き、老いを迎えた人が何度も山を越え、兵舎のような寒くて暑い住居に送られる。若い働ける人はすばやくその地を離れた。棄老(きろう)である。

 そして復興住宅。巨大なマンションである。地べたに近い住居に住んでいた人が、いきなり空しか見えないマンションに閉じ込められ、隣近所のつきあいは完全にたたれた。「ひきこもり老人」の大量出現である。


戻る

Copyright(c) 2004−2007 HigashiHonganji ShinsyuKaikan All right reserved
(このホームページの記事・画像の無断転載を禁じます)