世に意地悪ばあさんはたくさんいるが、意地悪じいさんは少ない。いてもスケールが小さい。80を越えた老獪(ろうかい)な政治家がいるが、かわい気がない。私のイメージとはちがう。せいぜい老人ホームで看護婦さんをからかうくらいのものである。日本の精神風土が意地悪じいさんを育てないのであろうか。一生上司にいじめつづけられ、定年退職して精も根もつきはてて、チューインガムのようになってしまう人が多数なのであろう。
最近こんな話を聞いた。
ごみ捨て場―正確には「ごみ用器集積所・資源回収場所」―朝、ごみを「生ごみ」「燃えないごみ」「資源ごみ」と分別して曜日によってきちんと出す一定の場所がある。なぜか私の家の前がその場所に指定されていて、不心得もの(奥のアパートの住民か?)がいて前夜から生ごみを出す。そこへ猫やからすが来て「生ごみ」の日の我が家の前は花ざかりである。この土地を買って家をたてたのが悪かったのであろう(平成5年5月)。
ある区(下町)のある場所に、ある老人が住んでいた。ごみの分別がはじまってしばらくして、その老人は指定日の前夜からそこに立った。前夜ごみを捨てに来る人をおいはらう。彼は眠らず、そして早朝過ぎると、そのごみをいちいち点検する。生ごみに燃えないごみが入っていると、それをそのまま、その家、そのアパートの戸口の前にドカンと置く。
なにしろひまである。ほとんど一日中そこに立っている。「お役目ご苦労さん!」と言う人もいようが、近所から、特に若い人からは「やりすぎだ!」と憎まれる。しかし彼は動じない。
ほぼ二年つづいた。
そしてじいさんは死んだ。
しかし、その後もその街の一角は、見事にごみが分別整理されつづけ、朝道行く人に不快な思いをさせることはなかったという。清掃局から感謝状が送られたという話は聞かない。そんなものをもらうために老人はやったのではなかろう。
「昨今の日本人」がゆるせなかったのであろう。
彼は死ぬまぎわまで、人に嫌われつつも立派な仕事を完了した。見事である。
こういう意地悪じいさんが町内に一人でも二人でもいたら、この醜い東京の町も少しは暮らしよくなるであろうのに。時の流れは逆である。