母は今年の六月で百歳になる。その話をすると、「おめでたいですね。総理大臣から感謝状が来ますよ」という人が多い。
私は腹が立つ。
今年の正月も重い気持ちをもって、高知へ行った。もう十数年、私の友人の病院に入院させてもらっている。数年前から寝たきりとなった。しかし、いささかも呆(ぼ)けない。呆けないから困る。本人もつらいだろう。夜中にドンドンと病室の壁をたたいたり、ライオンのように肌える。付添(つきそい)さんの介護を要するが、ついた人がたちまちダウンしてしまう。昼間グーグー寝て、よく食べる。おしめをあてている。流動食のくせに、夜の力は大変なものである。内科的にはどこも悪くない。「内臓は丈夫ですね」と主治医は言う。
私が行ってまずやることは、付添さんの話をよく聞いて、その苦労をねぎらうこと、そして菓子おりをもって隣近所の病室の患者さんにあやまりに行くことである。まわりをほとんど寝かさない夜があるらしい。
月50万円の仕送りも、私72歳ともなれば容易でない。
しかし、本人は「これはあのこと(これくらいのこと)で死んでたまるか!」と言う。ただ生きることへの執着は、おそろしいほどである。「生き甲斐」や「安楽死」は母には通用しない。そして言う。
「お母ちゃんはパパ(夫)が嫌いじゃった」「おさむ(私の兄、16歳で死亡)はええ子じゃった。顔もきれいやったし、やさしいし、勉強もようできた。すすむ(私)は、へごな子(悪い子)で、お兄ちゃんをいじめてばかりおった。ええ子が先に死んだ」
もう毒はない。長年、私は母を憎んでさえきたが、今は「もう、しゃーないなあ」とあきらめた。愛敬がでた。その毒が「生」への執着につながっているのだろうか。
ところが、こんな母にも一つの転機が訪れた。とてもいい付添さんが数年前からついた。実直でおだやかで耐える力と体力の持ち主である。今年で70歳。母をわが子のように介護してくださる。母も「お母さん!お母さん!」とあまえている。「お母さん」がいないととたんに不安になる。頼りきっている。
「俺が俺が……」とつっぱってわがまま放題に生きてきた母も、この人の世話なしには生きていけないと知ったのであろうか。生まれてからはじめて「人を信じること」を知ったのかもしれない。今年の正月も、「憎しみあって生きる夫婦は味気ないもんじゃから、おまん(お前)らは夫婦仲ようせなあかんよ」とおっしゃった。