私がふと老いを感じたのは、18歳の時である。笑話18年、私は四国新居浜(にいはま)の住友金属工場で学徒勤労動員で働いていた。高知高校の2年生6人に1軒の工員寮が与えられ、そこで共同生活をしていた。食物も衣類もなく、貧しい暮らしであった。もちろん学問どころではない。休日となれば、ぬれ縁の日だまりの中で、6人同じように背をまるめて、しらみをとるのである。しらみはパンツやシャツの縫目(ぬいめ)にびっちりと卵を産む。私たちは、それをはしから一つ一つ丹念に両爪(つめ)でつぶしてゆくのである。
そのころは、まだ米軍の飛行機もあまり飛来せず、ある種のどかな光景であった。
その瞬間、なぜだろうか、私は「あー、これが老いというものなのだろうか」という想念にとらわれた。
「もう働かなくてもえーわ」「このままでえーわ」「所詮、俺だけやあー」と、なぜかとても安らかな気持ちになった。
兵隊検査は終わっているし、あと1年か2年もすれば、戦争にかりだされやがて死ぬのだろう。その「死」がどんな正体のものか、18歳の私には知るよしもないが、ただ、「死」は眼前にあることだけは「事実」であった。
私たちに明日はなかった。しかもそれに対して、恐怖もなければ、悲しみもなかった。ましてや、私には「日本」という国家や、「天皇」という存在とは無縁であったような気がする。「家族」さえも私はほとんど信じていなかった。ただ「死」だけが妙なリアリティをもって、私のしらみをつぶす爪に間にあった。その時、私としらみの生命は、同じもののように思えた。
これが「老い」というものだなあ。もうなんでもえーわ、そう思うと妙に安らかな気持ちだった。それは空腹による低血糖からくる妄想(もうそう)だったのだろうか。
「腹がへった!」と友人の一人がどなった。「バカ貝(本当は何貝というのかわからないが、海辺に行くと無限に採れた)採りに行くか!」別の友人が答えた。それを採ってきて、倉庫から塩を盗んできて、塩ゆでして喰(く)うのである。美味ではない。しかし一時の空腹はしのげた。
しかし、私はその作業にはほとんど参加しなかった。なぜか分からない。もしかしたら、それは「老い」のせいかもしれない。
18歳に感じる「老い」はそのくらいのものであろう。