痴呆とは何か。
よく脳血管性痴呆とアルツハイマー型痴呆に分けられる。
一般的にその頻度は、2対1(または1対1)とされている。それに両者とはちょっと違う特殊型、または分類困難な痴呆が加わる。
しかもこの「痴呆群」は、医学的にもいちじるしく誤診例が多い。「呆け」とも区別されていない。今まで診(み)たこともない医師に、大学の痴呆患者がおしよせたのだから無理もなかろう。
ひどいのはNHKのニューススペシャルで「呆けとたたかう」という番組が放映された。私がみると「失語症」で「痴呆」とは全く違う(詳細は略す)。
一番多いのは脳血管性痴呆とされるが、これは精神病理学的にみてアルツハイマー型痴呆とは異質なものである。私のいう痴呆(デメンティア=dementia)ではない。ほとんどが脳梗塞後遺症とよぶのがふさわしい。
誤診されやすい「うつ病」や「幻覚妄想状態」や」急性の「せん妄」状態を除いて、アルツハイマー型痴呆の特徴をあげておこう(もっとも最近、某政治家が人を誹謗する時に、「あの人はアルツハイマーじゃないのか!」と言ったほどに一般的な差別言語となりつつある現状は、まことになげかわしい)。
私は痴呆性老人をみていると、ネガフィルムのように人間-心のありようや暮らし-が見えてくる。ある老人は「それは念仏者の世界ではないのか」と言われもした。
それは、今なお未知の世界である。
第一に「なじみの関係」を失う。家族や知人、近所の人を「あんた、どなたさんでしょう?」と言いだす。
第二に不安のかたまりである。一歩一歩「大丈夫、大丈夫」と自らに言いきかせるように歩きだす。
第三に居場所を失う。自分の家にいて夕方になると「長いことお世話になりました。そろそろ、おいとまさせていただきます」と言いだす。
家を出て徘徊(はいかい)する。居場所をさがす(人間存在そのものがそういうものなのかもしれない)。40日目に発見された徘徊老人が、妻と再会してはじめに「居られる・・・、居られる・・・、」とつぶやいた。
第四に救いを求めない。「呆けた・・・、なんとかしてほしい」とは言わない。医者を求めない。
第五に行動のつながり(私たちはほとんど習慣の中で暮らしているが)がたたれる。「家事」などという仕事は、考えられないほどの無数の行為のつながり・手順でなりたっている。だから「家事」がまず出来なくなる。「日常」が消えていく。(つづく)