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老いるについて
 京の樹をみる
浜田クリニック 浜田晋 第20回 <1996年3月>

 このところ何年か、暮れから正月にかけて、京都のホテルですごすことが多い。妻の労をねぎらう意味もある。東京でお正月をすると、なんか気ぜわしい。そして味気ない。ホテルを、なにかの本で、「非日常的な空間」として原楕を書くのには最適、と書いたことがある。たまにはそんな時間も必要であろう。なにをするあてもなく、ボケーっと、そこですごすのもなかなかいいもんだ。

 今年も年賀状を書き終えて、あてもなく寺をおとずれてみた。神社は混んでいけない。八坂さんとか平安神宮とか北野天満宮とか下鴨神社へ行って、こりたことがある。おけらまいりなんかひどいものである。テレビでみたような情緒なんかまるでない。雑踏である。受験をひかえ、北野天神もひどい人出だ。そんな世になったのであろう。

 今年はお寺の初もうではどんなものかと、はじめて寺へ行ってみた。まずはホテルのすぐ近くの西本願寺へ。まず限についたのは、古木である。見事に八方、枝をはった大木−なんと「けやき」とあった。けやきといえば関束では上へ上へとのぴ、それはそれなりに、すがすがしさがある。木はだも美しい。ところが西本願寺さんのけやきは横にのびている。そして幹がものすごい。何百年たったものであろうか、太くたくましく荒々しく苦渋の形相である。これにはおどろいた。いのちを感した。

 今更と笑われそうであるが、木はすばらしい。それから東寺、青蓮院、千本釈迦堂と行ってみたが、それぞれのお寺の樹木が実にすさまじい。くすのきも見事である。決して東京にはあのような木はなかろう。

 何度、京を訪れたかわからない。しかし−。

 今まで仏像や寺の建築はよくみたが、なぜか庭内の木をあまりみた記憶がない。うかつだつた。

 いいものをみたお正月は、それに気づいた正月はなんとなく気持ちがいい。めでたい気分になる。

 これからは時々京を訪れ、いろんな木にあいたい。やはり大きな木がいいなあ。歴史を感じ、そこからいのちを与えられるからだ。

 去年は私にとって、大震災に始まり大震災にくれた一年だった。12月31日も神戸にいた。そして、あの「仮設住宅」には、一本の木もなかった。草もはえていない。砂漠である。そこにまだ、6万人もの人が住む。

 京の大木を見上げながら、やはり想うのは神戸の仮設の老人たちであった。


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