最近、「痴呆老人にどう接したらよいのですか?」と、よく聞かれる。
「あなたはその老人に今までどう接してきましたか?」と聞きかえし、その具体的な話のなかから、「そのあたりをもう少しこうしてみられたらどうですか、あまり急に接し方をかえるとかえって危険ですよ」と、答えることにしていた。一般的なマニュアルはない、と。
「孤立をさけよ」「朝おこし、規則正しい生活をさせよ」「なにかの刺激をたえず与えよ」「運動させよ」「歩かせよ」「あたたかく接せよ」「薬はない」「夜だけはぐっすり眠らせよ」「集団を利用せよ」「家族の話をじっくりきけ」「趣味をもたせよ」「音楽を」「生きがいを与えよ」などなどの紋切り型のお説教を私は好まない。かえって反治癒的(はんちゆてき)にさえなる。あくまでも、個別性を重視し、接する人とお年寄りの人間関係の中で具体的に考えていくのがよいと思っていた。
ところが最近感動した本がある。『けやき通りの四季』(頼富淳子著、バオバブ社、新宿区高田馬場1-16-37)1300円である。お年寄りたちと杉並さんあい公社のへルパーさんと、それをささえる保健婦・医師の記録である。いわば、素人のヘルパーさんたちが実に見事にお年寄りとつきあっておられるのにびっくりした。
何例かの実例があげられていて、それぞれ味わいがある。ここに一例だけあげておこう。
80歳の少し呆けた女性と、やる気満々の50歳のヘルパーさんの話である。週1回4時間、洗濯、話し相手、付き添い、身辺介助に行くこととなった。へルパーざんは考える。「デイケアは?いっしょに買い物は?猫を飼ってみては?鳩にエサをやりましょう。折り紙は?お手王は?」と、次々と働きかける。ところが、お年寄りは何の関心も示さない。ヘルパーさんも家族も、お年寄りの一挙手一投足注目し、ボンヤリとすごすのではなく楽しく前向きに暮らしてほしいと思う。しかし動かない。
そしてある日、老人はシクラメンにむかってこんなことを言う。「あなたね、そんなに一杯花を咲かせないでいいのよ。お花は1つか2つでいいのよ」とつぶやく。
そしてへルパーさんは1年間のつきあいの果て変わっていった。その老人にとって「昨日のように今日も過ぎていくこと、変わることは必要ないのだ」と。「傍(かたわ)らにほんのわずかな時を共感しすごし、お年寄りの安心感を青てる」仕事なのだとさとるのである。