兵庫大震災で亡くなられた5502人(5月1日現在)のうち、60歳以上が53%。その9割が圧死だという。
古い町長田区(老人人口16.4%、一人暮らし3893人、ねたきり594人)では、70歳以上の死亡者が4割を超えた。その多くは古い木造住宅(家賃が月3万円前後)にひとりで暮らしていた。そこを地震が直撃した。
彼らは逃げるに逃げられない。そして約30万人の避難民を生んだ。1200力所の避難所に入る。そこも地獄。力のある人々はやがてそこを去る。とりのこされるのは行き場のない高齢者である(4月末現在600力所、5万2000人)。
劣悪な環境で老人たちはよく死ぬ。「避難所生活死」とよばれている。その数1000人と推定されている。もちろん警察発表の震災犠牲者には人っていない。足のふみ場のないところから外の仮設トイレヘ行く事だって難行である。
やがて水を飲まなくなり、脱水症状をおこす。たべなくなり(朝パン、夜冷たいおにぎりや弁当)、風邪をひきやすくなるのは当然。明らかに人災である。私の友人の長田区M医師は、「彼らはある意味では無意識に緩慢な自殺の覚悟をしている」と言った。
そして運よく(?)仮設住宅へ入った老人たち−雑踏にいた町の避難所から、山奥の人気のない殺風景な個室へ。静まりかえり、まわりは見知らぬ人ばかり。この「落差」に老人はまた弱い。元気な老人は「避難所へ帰りたい」と言いだす。当然であろう。壊れそうな瓦磯(がれき)の町に老人たちはまだ残っているとも聞いた。
老人ホームヘの緊急一時人所者は、2月16日現在で、1791名。そこでどんな生活があるのだろう。
身内にひきとられていった老人たち―そこでもやがて彼らは招かれざる客となる。私のクリニックを訪れた老夫婦。「なぜあの時、死なんかったんやろ!生きとったかてもう何の役にもたたへん…いつまでこの世に…」と黙するのである。
もの言わぬ人々の怨念が、今、私には「声」となってつたわってくる。
都市の大震災は、高齢者・障害者・病人・貧しき人々を選んで大きく傷つける。私の町「上野」でも同じ状況がおこるだろう。いや、もうすでにおこっている。
神戸復興プランがある。それは明らかに老人・障害者・病人を排除するものである。(内橋克人、鎌田慧『大震災復興への警鐘』岩波書店)
これからまだとんでもないことがおこる予感がする。そこで「医療」は、「福祉」は、「宗教」は、彼らに何をもたらすのか−それが今、私たちに強くつきつけられているのである。