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老いるについて
 語りつぐ 水俣の世界から
浜田クリニック 浜田晋 第11回 <1994年9月>

 石牟札道子さんとお会いした。私は、昭和44年、東大闘争のさなか、絶望的な雰囲気の中で読んだ『苦海浄土』以来のファンである。

 お眼が悪いと聞いていたが、長旅−飛行機はお嫌いと熊本からJR乗りつぎでこられた−にもかかわらず、とてもお元気で生き生きとしておられる。その笑顔はこの世のものとも思えないくらい、美しく輝いて見えた。また澄みきったお声がいい。もう仏さまである。

 私・浜田昔と徳永進(鳥取目赤病院内科医で『隔離』『死の中の笑み』の著者)が去年からやっている「すすむ&すすむフォーラム」の二回日に、旧友・原田正純(先天性水俣病の発見者、環境間題で世界的に活躍、最近国連グローバル500賞をおくられた)と石牟礼さんのお2人をお呼びして「語りつぐ水俣の世界」を計画した。(ちなみに一回は谷川俊太郎と「医療と言葉」)

 とても石牟礼さんにはおいでいただけないと思っていたが、原田君の電話で「石牟札さんも出られるとおっしやつとってですよ」とお間きして、二人のすすむは飛び上がらんばかりによろこんだ。名もなき二人の医者の貧乏な会にわざわざ熊本からおこしいただけるだけで有り難かった。

 会のはじまる前に、石牟礼さんはおずおずと「私は何をお話しすれば、、、」とおっしやった時、原田君が「石牟礼さんはただ立っておられるだけでよかとですよ」と言い、みんなで大笑いとなった。その時のはずかしそうなお姿が目に浮かぶ。

 会のはじまる前に軽い食事をとっていただいた。長野の看護婦・山口直子さんがもってきてくれた杏の漬物をめしあがり、「私、はじめて、、、はじめていただくの、、、おいしいわあ」と童女のようによろこばれた。

 しかし話はきびしかった。その言葉のひとつひとつが重かった。誰にも話さず、じっと私の中にしまっておきたいような言霊(ことだま)だった。ひとつだけ、最後に天草の「もだえ神様」の話をなさった。

 「普段はなにもせずぶらりぶらりとしているお人ですが、あれはご病人さまでございましょうかねえ。ただ人が死ぬ時、おいでになって、亡くなる方といっしょに声を出してもだえてもだえて(身体をくねらせる仕草に色気があった)、、、そして死を看とられる、、、そんな人がいるだけで死にゆく人は少し楽になられるんでしようか。そういうことってあるんでございますよねえ、、、」と。

 「上古(じょうこ)」の時代から民衆の中に自然にそんな人が存在している地域がまだ日本に残っていることがいい。これでしばらく生きていけそうだ。


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