物理学者の高橋秀俊さんが、一九五七年『数理と現象』(岩波書店)という本で、「人問と機械」のちがいを、次のようにまとめておられる。
- 人間は気まぐれである
- 人間はなまけものである。
- 人間は不注意である。
- 人間は根気がない。
- 人間は単調をきらう。
- 人問はのろまである。
- 人間は論埋的思考力が弱い。
- 人間はなにをするかわからない。
したがって機械は、この人間の特性を心得ていて、人間の機嫌を損なわず人間の欠点を補うようにせねばならない−というのである。
この話を聞いたときはなぜか笑ってしまった。しかし、どうも笑ってばかりはおられない。その「なにをするかわからない人間」が人間のみか、この地球までも「大きな破滅」に至らしめるような「機械」や「技術」をこの手におさめてしまったからである。
そのおろかさを制御できるほど、「機械」だって利口ではあるが、はっきりいって「機械」はおろかである。人問の言う通りに思実に動く。「人間の特性」の欠陥を補う力はない。おろかな人間の指示にも忠実に動く。「ちょっとおかしいぞ!」と果たして機械が言うか。かりに言ったとして、人間はそれに気づいて正しい道を歩むか−どうであろう。
一人一人の人間が、老い、呆けることが、今日、大問題となっているが、人間総体として「社会」「人類」「世界」は(とくに先進国といわれ機械がいばっている国は)、どうも老い、呆けたのではないか。ロシアの核廃棄物、東京のゴミ、地球の温暖化、かぞえあげればきりがない。十年後、百年後のことが全く見えていないのである。
あるタクシーの運転手が、私に一言った。「もう人間は終わりだろうね。俺だって、毎日毎日こうやって有毒ガスをはきだして、走りつづけているんだからね。人間の終わりに一役かっていると思えば、あんまりいい気分じゃあないが、こちとらだって走らないとおまんまの食いあげざあ。お客さんにも乗ってもらわないとね−、、、」と、バックミラーの中に、その運転手の眼がきらりと光った。
一般の庶民は、先をしっかりと見ている。先が見えないのは、政治家や大企業や大病院や、およそ「大」のつく組織の中の人間であろう。日本は国連の常任理事国などに入らぬ方がよい。