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老いるについて
 はじめに
浜田クリニック 浜田晋 第1回 <1993年1月>

 去年の10月13日、私は満65歳を迎えた。さあ、いよいよ「老人」だ!と思い、なぜか一時、胸の高鳴りをおぼえた。これからまた、想像だにしないであろう「新しい自己」とのつきあいが始まる。闘いが始まる。
 かりに80歳まで生きるとしてあと15年である。

 短いような長いような。

 中江兆民に「一年有半」(明治34年)という名エッセイがある。喉頭癌で、余命1年半と知らされた兆民。

 曰く「一年半、諸君は短いというだろう。しかし私は極めて悠久だという。若し短いというならば10年も短い。50年も短い。100盜年も短い。生命には限りがあって、死後は限りがない。限りがあるということは、限りがないのに比べれば、短ではないか。無ではないか。若し、することがあって、それを楽しむならば、1年半は十分に利用できるだろう」(意訳浜田)そして最後に「鳴呼所謂1年半も無也、50年100年も無也、即ち我儕は是れ、虚無海上一虚舟」とある。カッコいい!

 私があと15年(勝手に自分でそう決めている)で、はたして私のライフワークの「精神分裂病者約一千例」のまとめが出来るか、ちょっと心細い。もうちょっと延長しようか、などといい加滅なことを考えている矢先。ひょんなことから親鸞が90歳まで生きて、最後まで文筆活動を捨てず、あの大著『教行信証』(草稿本)を52歳で完成したあとも、終生、手を入れていたことを知った。700年前の90歳だから、今では百歳をはるかに越えていよう。名僧の条件に、長生きすること、女にもてること、とも聞いた。ショック、ショック。

 私のような「ただの人問」が、とうてい二大人の後おいを出来るわけでもなかろうが、老いはまた異なもの、突然ばけることもあるやもしれず。老いてばけた人間は無数にいる。呆けるばかりではない。

 こうなったらままよ、好きなように生きれぱよかろうと腹をくくっていたところ、新宿区から「むらさき(老人)手帖」なるものが、送りとどけられてきた。「こあいさつ」に曰く。「本々の緑も日ごと色濃くなってまいりました。皆様にはいかがお過ごしでしょうか……」

 なんと窓外に眼をやれば、もうそろそろ紅葉をすぎ落葉の頃かと思っていたのに。「私もそろそろ呆けたのか!」と眼を疑った。あとは茫々。

〈つづく〉


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